大竹昭子のカタリココ

朗読イベント〈カタリココ〉&トークイベントのお知らせと「日々雑記」

おしらせ&雑記

9月のカタリココは美術家の佐藤貢さんをお迎えします!

DM 佐藤貢 完成アウトラインカタリココでは本当におもしろいと思うものを、おもしろいですよ!とみなさんにお伝えすることをなによりの喜びとしてつづけてきました。そこでいよいよ、佐藤貢さんの登場です。
佐藤さんと知りあったのはカタリココをはじめるより前、森岡書店の森岡さんのご紹介でした。前の茅場町の店舗で、作品本人ともに初めてお会いしたその日に彼とトークをしたのです。
以来、佐藤さんの作品を見続けてきましたが、会うたびに人間と作品が不可分に絡まりあった彼の魅力に引き込まれてきました。このたび、カタリココの場に彼をお迎えして展覧会を同時開催できるのがうれしくてなりません。名古屋方面にはファンの多い方ですが、東京で作品を見られることはめったになくとても貴重な機会です。人が表現にむかうことの切実さにぜひ触れてください!(2018.9.5)

トークショー<カタリココ> 佐藤貢×大竹昭子
日時 9月29日(土)14時30分開場、15時開演 1500円
会場 千代田区神田神保町1-25 神保町会館3F ボヘミアンズギャラリー
予約受付中 ボヘミアンズギャラリー

佐藤貢展 2018年9月26日(水)~10月7日(日)
ボヘミアンズ・ギャラリー 入場無料 会期中無休 12:00-18:00








9月の迷走写真館はこの写真です。

bcc858b2-s.jpg乾いた土地に井戸があり、そこで人が水を汲んでいる、もうそれだけで物語ができてしまいます。でも、よく見ると汲んではいないみたいですけど、遠くからやってきたような感じがするのはなぜでしょうね。それとこの井戸のかたちがおもしろい!自然ばかりのなかに直線だけで出来ているものがあると目立つなあ、などと、見つめるほどにいろいろなことが浮かびます。→ギャラリーときの忘れもの

8月の迷走写真館はこの写真です。

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もたもたしているうちに、アップからだいぶたってしまいましたけど、8月の迷走写真館はこちらの写真です!
カメラを正面から凝視している彼らの顔と姿を眺めるうちに浮かんできた妄想の数々。
似ている、と思うと、みんなが似て見えてきて、なにがなにやらわからなくなります。
ところで、ここ、どこでしょうね。
ちょっと気になります。→ギャラリーときの忘れもの(2018.8.13)

滝口悠生さんのカタリココ、ご報告です!

       IMG_7197_web2.jpg
















ゲストとは初対面のことが多いのですが、滝口悠生さんとはそれだけなく打ち合わせもまったくなしでした。参加者にお配りした冊子(下の写真)にサインを入れる作業を、滝口悠生さんが開演ぎりぎりまでしてくださったからです。時計が30分を指したと同時にトークに入りましたが、もっと後で触れようと思っていた事柄が、どうしたわけか始めてすぐに口をついて出てしまいました。それは「時間」のことです。滝口さんの小説には時間への関心が通奏低音のように流れていますが、今回再読してとりわけそのことが印象に残り、こんなにふうに時間にあれこれ考えを巡らすのは、彼が無為な時間をたくさん過ごしてきたからだろう、と思ったのです。

いきなり本題に突入しすぎな感もありましたが、滝口さんは少しもたじろぐことなく、「うん、20代のころはひまでよく歩いてましたねえ」と答えました。大学に通うのに、埼玉の自宅から電車で池袋にでると早稲田まであの道、この道と平気で3時間くらい歩いてしまう。関西にいくにも新幹線がいやで鈍行を使う。そうやって身体感覚に見合う移動を重ねたことは、創作のベースになっていると思われます。人はなにの為でも無い時間を過ごしているとき、世間的な時空間からちょっとズレたところから物事を見たり感じたりします。それはその人の核を形づくるし文体にも出るのです。IMG_0331_convert_20180726140630.jpg 
小説のなかにはときおり驚くような文章が登場します。たとえば『茄子の輝き』のなかの「文化」は、主人公の「私」が神保町の食堂で文化の日にギョーザを食べる話なのですが、そこで以下の文章を遭遇したときはびっくりしました。
「私は肩掛けカバンとは別に、本が入っているらしい深緑のビニール袋を持っていた」。
「本が入っている」ではなくて「入っているらしい」。たしかに、祝日の昼間にビールとギョーザを頼めば、「入っているらしい」と言いたくなる気分になりますが、それにしてもはじまって早々にこう書くのはかなり勇気がいるし、校閲からも指摘されます。でも滝口さん曰く、「オレのせいじゃない、この人がそう言ったんだから(笑)」。

小説を書き始めたころは、書き手と物語の語り手(主人公)との関係の取り方がよくわからなかったと言います。語り手を自分から切り離して他者にするのがむずかしいということです。『高架線』では登場人物が名乗りをあげて話を切りだしますが、そう思えばあのスタイルは完璧です。名乗らせることで彼らが自立した存在になり、書き手はその人の言い分を聞けばいいという立場になる。両者の距離が一定するのです。
滝口さんの小説は、自己の内的世界を示すのではなく、外部にある物語に耳をすませるのが特徴ですが、その語りが時間軸にそって淡々と進むのではなく、途中に線路の切り替えポイントのような箇所があって巧みに視点や時間が切り替ります。そのために論理よりも流れで意味が決まっていく日本語の特性が最大限に引き出されており、「日本文学」というより「日本語文学」という呼び名がふさわしいような言葉の跳躍力を感じます。

滝口さんは秋からはじまるアイオワ大学のレジデンスプログラムに参加するために、まもなくアメリカに発つそうです。彼の「日本語文学」が英語圏でどのように受け取られるのか、世界各地から集まったさまざまな言語の作家たちからどんな刺激を受けるのか、とても楽しみです。(2018.7.28)

2018年7月20日、滝口悠生さんとのカタリココ

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ゲストとは初対面のことが多いのですが、滝口悠生さんとはそれだけなく打ち合わせもまったくなしでした。参加者にお配りした冊子(下の写真)にサインを入れる作業を、滝口悠生さんが開演ぎりぎりまでしてくださったからです。時計が30分を指したと同時にトークに入りましたが、もっと後で触れようと思っていた事柄が、どうしたわけか始めてすぐに口をついて出てしまいました。それは「時間」のことです。滝口さんの小説には時間への関心が通奏低音のように流れていますが、今回再読してとりわけそのことが印象に残り、こんなにふうに時間にあれこれ考えを巡らすのは、彼が無為な時間をたくさん過ごしてきたからだろう、と思ったのです。

いきなり本題に突入しすぎな感もありましたが、滝口さんは少しもたじろぐことなく、「うん、20代のころはひまでよく歩いてましたねえ」と答えました。大学に通うのに、埼玉の自宅から電車で池袋にでると早稲田まであの道、この道と平気で3時間くらい歩いてしまう。関西にいくにも新幹線がいやで鈍行を使う。そうやって身体感覚に見合う移動を重ねたことは、創作のベースになっていると思われます。人はなにの為でも無い時間を過ごしているとき、世間的な時空間からちょっとズレたところから物事を見たり感じたりします。それはその人の核を形づくるし文体にも出るのです。IMG_0331_convert_20180726140630.jpg 
小説のなかにはときおり驚くような文章が登場します。たとえば『茄子の輝き』のなかの「文化」は、主人公の「私」が神保町の食堂で文化の日にギョーザを食べる話なのですが、そこで以下の文章を遭遇したときはびっくりしました。
「私は肩掛けカバンとは別に、本が入っているらしい深緑のビニール袋を持っていた」。
「本が入っている」ではなくて「入っているらしい」。たしかに、祝日の昼間にビールとギョーザを頼めば、「入っているらしい」と言いたくなる気分になりますが、それにしてもはじまって早々にこう書くのはかなり勇気がいるし、校閲からも指摘されます。でも滝口さん曰く、「オレのせいじゃない、この人がそう言ったんだから(笑)」。

小説を書き始めたころは、書き手と物語の語り手(主人公)との関係の取り方がよくわからなかったと言います。語り手を自分から切り離して他者にするのがむずかしいということです。『高架線』では登場人物が名乗りをあげて話を切りだしますが、そう思えばあのスタイルは完璧です。名乗らせることで彼らが自立した存在になり、書き手はその人の言い分を聞けばいいという立場になる。両者の距離が一定するのです。
滝口さんの小説は、自己の内的世界を示すのではなく、外部にある物語に耳をすませるのが特徴ですが、その語りが時間軸にそって淡々と進むのではなく、途中に線路の切り替えポイントのような箇所があって巧みに視点や時間が切り替ります。そのために論理よりも流れで意味が決まっていく日本語の特性が最大限に引き出されており、「日本文学」というより「日本語文学」という呼び名がふさわしいような言葉の跳躍力を感じます。

滝口さんは秋からはじまるアイオワ大学のレジデンスプログラムに参加するために、まもなくアメリカに発つそうです。彼の「日本語文学」が英語圏でどのように受け取られるのか、世界各地から集まったさまざまな言語の作家たちからどんな刺激を受けるのか、とても楽しみです。(2018.7.28)

次回のカタリココは小説家の滝口悠生さんをお迎えします!

IMG_0255_convert_20180627123204.jpg最近の滝口悠生さんの小説には
町、建物、間取りなどがよく登場します。『茄子の輝き』には高田馬場にある会社が、『高架線』には江古田のアパートが、『本』で連載中の「長い一日」には大家の上階にある日当たりのいい部屋(世田谷)が出てきます。町を徘徊して、建物を眺め、間取りを想像するのが好きな私にとって、まさにドンピシャな内容。しかもそこに記憶と、意識と、認識というテーマがからんでくるので、たまりません。
滝口さんのファンはもちろんのこと、町、建物、間取りがお好きならば、ぜひ。必ずや読者になることでしょう!予約、はじまってます。

日時:2018年7月20日 19時半開演
会場:千駄木・古書ほうろう
参加費:1500円
予約:古書ほうろう
    tel.03-3824-3388

音の採集家、宮里千里さんを沖縄からお迎えして音をめぐるトークをします!

miyazato-otake_20180614_ol_web_convert_20180606152618.jpg宮里千里さんとは30年ちかい付き合いですが、トークをするのは今回がはじめてです。なにせ沖縄在住ですからそうしょっちゅうは会えないのですが、このたびトークのために千里さんが東京に来てくださることになりました。
フライヤーの絵をご覧いただけばわかるとおり、宮里さんは音の採集家です。どこにいくにもバッグに録音機器をしのばせ、おもしろい音があるとマイクを向けます。東京にくれば必ず秋葉原に飛んでいくのも、ほかでは手に入らないパーツが買えるからなのです。
録音をはじめたのは20代で、そのころ使っていたのはカセットテープ。沖縄の祭祀の貴重な音をたくさんお持ちですが、最近、それをデジタル化してCDとして出しはじめました。その第一弾が、1978年が最後の開催となった久高島の祭祀イザイホーのCDです。
千里さんからこれをもらい聴いたわたしは仰天しました!30歳をすぎた島の既婚女性が神女となる儀式なのですが、彼女たちの神歌や掛け声がもつエネルギーが音の粒となって放たれ、元気のでないときに聴くとたちまち回復するほどのパワー。これまで千里さんと会えば飲むことしかしなかったとは、なんという灯台下暗しでしょう!6月14日にはそんな反省も込めまして、まっさらな気持ちで音の採集者、物書き、宮里小書店の店主というさまざまな顔をもつ宮里千里さんに話を聞きます。タイトル「アッチャーアッチャー」は沖縄のことばで「あちこち」のこと、「ジャランジャラン」はインドネシア語で「ぶらぶらする」。彼と知り合ったのは、私の最初の著作『バリ島不思議の王国を行く』を、当時たびたびバリ島に行っていた彼が読んでくれたのがきっかけでした。あちこちぶらぶらしてきた私たちの音を巡るトーク、貴重な音源がたくさん公開されることでしょう!(2018.6.6)

日時:2018年6月14日(木)19時半〜
場所:千駄木・古書ほうろう
料金:1500円
予約:http://horo.bz/event/miyazato-otake20180614/☎ 03-3824-3388

福田尚代さんのカタリココ、ご報告です!

IMG_2239-1_convert_20180530163546.jpeg 絵を描くよりも本を読むほうがずっと好きだった子どもが、なぜ文章ではなく、美術の道に進んだのか。福田尚代さんの経歴をみたとき、いちばんの謎はそこでしたが、福田さん曰く、「まったく考えもしなかった問いです」。
  大学がつづいている高校でそのまま進学するのが嫌で、美術学校に行こうと思ったのが絵をはじめた動機でした。つまり進路が先で絵は後から付いてきたのですが、描きだすと夢中になり、しかもその何に惹かれたかに彼女らしい理由があって、目の前にあるものを何時間でも見つめていられることがうれしかったと言います。もし日常生活でやったら頭がオカシイと疑われかもしれないことを、絵が理由ならば堂々とできたわけで、見つづけるうちに日常とはちがうように見えてきて、いままで見ていたものはなんだったのかと疑問に思うほどに。東京藝大の受験がその年は珍しいことに自由課題で、偶然見かけた石を描いて見事に合格。

 とはいえ、そこからはイバラの道でした。絵に対する実感がほかの人たちとかけ離れていて、凝視すればするほど対象が粒子に分解して形が描けなくなるのです。唯一、実感をもって行えたのは点を打つことで、しばらく点描をつづけますが、そのうちにそれが文字に見えてきて、回文をつくるようになりました。
美術の範疇からはみでた秘すべき行為としてつづけたそれが極点に到達したのは、結婚した相手の留学先についていった北米のワシントン州でのことでした。周囲に自然しかなくて、しじゅう雨の降っていて、荒涼として人工物がほとんど見あたらないのオリンピアとシアトルに六年間暮らし、それまで以上に深い孤独にさらされますが、その異国の日々がいまにつづく「福田尚代」の揺籃期となったのです。
 まず言葉が通じないことが新鮮でした。そのことを貴重に思い語学学校にはあえて行かず、言葉を身につける以前の幼児のような日々を過ごしました。言葉をもたないということは、存在の根拠が人間社会のなかになくなるということで、自然が近づいてきて自分との境界が消えていきます。日本では回文のことは隠していましたが、「完全にだれでもない人」になったそこでは隠す必要もなく、絶体絶命の状態に追い込まれながら、回文づくりに没頭しました。
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 話を聞いて、自然を見つめていたときに福田さんの目に映ったのはひらがなの源ではないかと思いました。直線で構成された漢字は面的要素もあって立体的ですが、すべてが曲線でできているひらがなは、平板でラインの流れが際立ちます。きっと彼女の目は自然物を見ながらモノとモノの際に生まれるラインをたどり、さまざまな形態に潜む生命のリズムを呼吸していたのでしょう。
 ひらがなは中国の漢字を簡略化したものですけれど、そう言われてもにわかに信じられないほどもとの形を超えています。回文はまずひらがなで書かれ、この状態ではパラパラして意味はとれず、それを漢字に置き換えて読み下したときにはじめて意味が浮かびあがりますが、はじめのひらがなの状態には線の流れに生命のさざめきを感じとっていた古代人の感覚が写しとられているように思います。本に熱中していた子供のころ、彼女は言葉の意味やお話の筋をたどるだけでなく、文字の形象を吸いとり、からだに溜め込んでいたのでしょう。自然のなかで樹々の枝や根っこや葉の重なりを見つめるうちにそれらが「文字の繊維」と重なるという体験が、言葉が失われた異国の地でより強く起きたのかもしれません。
 カタリココの翌日、福田さんから「昨夜は朝まで想うことが尽きず、今日は『隆房卿艶詞絵巻』の本を眺めてすごしました」とメールが届きました。『隆房卿艶詞絵巻』の葦手絵は桜や藤や柳の曲線のなかに文字が隠されていて、文字が意味を伝えるだけでなく、生命の波動を伝えるものでもあったのがわかります。オリンピアの自然のなかで福田さんはひらがなを生み出した昔の日本人と同じ眼差しでモノを見ていたのかもしれないと思うと、不思議な感動がわきあがります。だれかに影響を受けるのでもまねるのでなく、彼女にとって切実な問いをつきつめたあげくにたどりついたこの場所こそを「新しい美術」と呼びたいと思いました。(2018.6.5)
福田尚代著『ひかり埃のきみー美術と回文』書評