大竹昭子のカタリココ

朗読イベント〈カタリココ〉&トークイベントのお知らせと「日々雑記」

カタリココ・レヴュー

2014年のカタリココは、寄藤文平さんで幕を開けました!

2014年5月28日、寄藤文平さんをお迎えして神保町ボヘミアンズギルドで行われた本年最初のカタリココ。爆笑の一夜からあっという間に1週間がたってしまいましたが、そのご報告を。
まず『この写真がすごい!2』から寄藤さんがセレクトした写真6点を上映しました。寄藤さんが気になった写真というのですから、ちょっとひねりが効いています。6番、24番、44番、60番、69番、70番。これらを上映し、どこが気になったか、おもしろいと思ったかったかを語り合いました。いちばん長く話したのは60番です! 彼から思いがけない意見が出ましたが、それは今後おこなわれるトークの話題にとっておきましょう!
寄藤_convert_20140604112356寄藤さんはインターネットなどで見つけたおもしろい画像をチェックし、カードにして、ときどきご覧になるそうですが、後半はその画像をネタにトークしました。どれもおもしろくて、会場は沸騰!左の写真にあるのはポスターを撮ったもので、飛んでしまって見えませんが、このハサミの下に四文字の漢字が並んでいて、それとハサミが合体するとなんとも「痛い!」図になります。

絵や写真に言葉が添えられることによって(またその逆によって)、観客とのあいだに共通の場が立ちあがっていくのがまざまざと実感されました。トークショーの醍醐味はこれですね。

上映が終わって質問コーナーでは、写真集と一般書とデザインするときの態度にちがいはあるか?という質問がでました。ナイス・クエスチョンです! というのは活字の本には寄藤カラーが濃厚ですが、写真集はそうではなく奥付を見てわかることが多いのを、私も不思議に思っていたのです。

一般書ではじわじわと攻めていくが、写真集では電圧を上げて一気に造り上げるとのこと。つまり、部数の多い本の場合は依頼者のイメージする寄藤カラーをどう演出するかを考慮しますが(うまくいけば次の仕事がつながります)、ひるがえって、写真集では寄藤カラーではなく、内容をいかに形にするかに重きがおかれます。そこに焦点を合わせて集中してモノとして仕上げるのがとてもスリリングとのこと。ナルホド!と納得したのでした。
IMG_3572_convert_20140604142235.jpg寄藤さんとトークする楽しさは、その場で一緒に考え、言葉を積み上げていくことです。延々と話ができそうな気がしました。(2014.6.4)

本と書店について、2013 年最後のカタリココ、盛り上がりました!

no_006_convert_20131208162731.jpg南陀楼綾繁さんと江口宏志さんという顔合わせに、火花が散るかもしれないと期待した方がいたようですが、実はわたしもその一人でした。ちょっとスリルを覚えながら場に臨んだのですけど、ぜんぜんちがいました。おふたりは90年代末に、いまのような新しい古本屋のブームが生まれるころからの知り合いです。つまり本で何か新しいことができそうだと考えた同志なのですね。メディアで通して見ると、そこに対立軸があるように思ってしまうけど、それぞれに自分にあったやり方で活動をしてきた結果、それぞれの個性が際立ってきたというに過ぎない、という当たり前のことに気づかされました。やはり人には会ってみるべきです。

江口さんは、自分は隙間をさがすタイプなのだと言います。すでに何かが起きている場所ではなく、だれもいない場所で動きを起こしたい、それが最初に代官山でユトレヒトを開いた動機でした。いまは表参道に移っていますが、自分は書店の経営ではなく、本でいかに人と人、異ジャンルをつなげるかに興味があると語ります。彼がはじめた東京アートブックフェアはその典型的な例で、今年は世界中から300以上の出版社や個人がブースを開いたそうです。

南陀楼さんの「一箱古本市」は日本全国に広がり、地域おこしのひとつにもなっていますが、当初はそんなことはまったく考えなくて、ただ単に本で遊ぼうという感覚だったとのこと。一箱のなかに自分の本の世界を作り、屋号もつけてそれぞれが小さな古本屋のオーナーになる。なんだかおもしろそう!というので、住んでいる谷中・根津・千駄木界隈で実行しました。これが全国で歓迎されたひとつの理由は、地方の縦割り社会が本を通じて横につながることが出来たからだそうです。これは東京ではなかなか想像のつかない事態です。no_009_convert_20131208162815.jpg
本屋ブームはホンモノなのか?という大テーマもかかげてみましたが、「いや、みんなが語りたがるというのは、絶滅危惧種の兆候ですよ!」という南陀楼さん言葉にガクン! たしかに名画座も喫茶店もそうです。消えていくからそれを惜しむ気持ちが生まれるわけです。どうやら、本屋ブームによって本が売れるようになる、なんてことは期待できそうにありません。それよりも重要なのは、本の底力をもっと意識することでしょう。たとえば同じ媒体物でもCDで場がつくれるかと考えると、むずかしい気がします。本だから、場が作れるのです。内容、形、サイズ、デザインとさまざまな要素が絡まった複雑な物体なのに、気軽に手に取れる。さすが、長い歴史を生きてきただけのことがあります。声に出して朗読すればライブの場をつくれるし、読書会をすればふつうの会話以上に相手を知ることもできそうです。

ネット社会が進行すればするほど人はリアルな場を求めます。生き物ですから、どこかでヴァーチャルなものとのバランスをとろうとするんですね。そういうヒトの心に本はするっと入り込む力があります。トークの現場で感じ取ったみなさんの集中力と熱気は、どんな批評の言葉よりも信頼できると思いました。この熱を手がかりに、来年もまたカタリココを通じて本の文化に光を当てていきます。みなさん、どうぞよろしく。(2013.12.8)

松家仁之さんとのカタリココ!

松家3
















私は小説を読むのにヴィジュアル化して読むんですが、すべての人がそうなわけではない、と知ったときはびっくりしました。それ以来、大きな関心事となり、松家さんにはまずそれをお訊きしたところ、ぼくもそうです、とおっしゃられ、やっぱり!と思いました。『火山のふもと』のなかの空間描写を読むと、そうとしか思えなかったのです。
建築家になりたかったけど、理数系がだめで断念、というところも共通しており、私も建築学科が理学部に属していると知ったときは驚き落胆したものでした。そんな次第で、期せずして建築に挫折した「空間派」のトークとなったのです。

松家さんは方向音痴なのに地図を描くのが好きで、編集者時代にはお遣いの方に地図を描くのに浮き浮きしたと言います。このお話は、空間を言葉にすることと、空間を図面にすることの差を考えるのに大きなヒントとなり、あとの話がここからスムーズに展開しました。

今回のために、私は恥かしながら「夏の家」を図面にしてみました(下の写真がそれです)。ところが、図面上の辻褄をあわせようとすると不明な点がでてくるし、何よりもその作業をするうちに頭のなかにあった「夏の家」のイメージがガラガラと崩れていくのです。こういうイメージだったのに、図面にすると合わない、あれ? という感じ。松家さん図面_convert_20130914100420
これは、「方向音痴なのに相手にわかりやすい地図を描くのは好き」というさきほどの話と似ているなと思いました。本当の距離はあっちの道のほうが長いのに、歩いているときの感覚でついこの道を長く描いてしまう、ということはよくありますし、かえって計測的に合ってないほうが通じやすかったりします。言葉とは、このように作者の意識を通過して表出するものであり、そういう言葉ほど相手にも強く深く伝わるのです。

巷では 「先生」や「内田さん」について、あの建築家がモデルではないか、などと憶測が飛び交っているようですが、ここにも興味深い問題が潜んでいます。モデルがそのまま小説上の人物ではないことは、言うまでもありませんが、実在の人物からインスピレーションを得た場合、いかにフィクション化していくかは結構、難題です。実像に意識が縛られてしまうのです。ですから、「先生」には自分のこれまでの人生で先生と仰いできた人のことを、「内田」さんには先輩として接してきた人のことを投入した、という言葉にはなるほどとうなずかされました。
松家さん1_convert_20130914100622つまり、フィクションとはいっても、作家の肉体を通過してきたことしか出ないということなのです。これにはもちろん、実際に知っている人だけではなく、映画や小説を通じて出会った人も含まれます。そのようなさまざまな影響にさらされたひとりの実存の意識と無意識をくぐりぬけて出てきた言葉。小説とは、そうした言葉がつながってできた世界の姿である、改めてそう確認した夜でした。(2013.9.14)

しりあがり寿さんの融通無碍な空気に乗って。

IMG_0007_convert_20130707085309.jpg2013年7月5日(金)、しりあがり寿さんをゲストにお迎えし、カタリココが開催された。場所は目白のポポタム。藤枝奈己絵さんの漫画展がおこなわれている会場に、いつもとはちがうレイアウトで椅子を並べてみた。

しりあがりさんとお会いするのは、今回がはじめてである。トークショーを拝見したことはあるが、お話をしたことはない。でもはじめてのような気がしなかったのは、昨年ボヘミアンズギルドで祖父江慎さんとお話ししていたからだろう。ふたりは美大の漫画研究会の仲間だ。はじまる前は祖父江さんが学生のころどんなだったかというお話を聞いていて、時間がきたらそのままカタリココに移行。しりあがりさんの単行本の装丁の多くは祖父江さんが手がけているので、ここにこんな仕掛けがあるんですよ、と本を開きながら例を示してくださるなど、ふたりのつながりを意識して企画したわけではないのに、連続した内容になったのはおもしろかった。

実はわたしは漫画をほとんど読まない。子供のときからそうだった。漫画の様式的な表現が苦手なのだ。だが、彼は言う。漫画の強みは様式にあると。頬に汗を描けば焦っていることを表す、というように、記号化された描写があることで描く内容に速度がでる。漢字のようなものなのだと。きっとわたしは漢字練習が足りないのだろう。しりあがりさんは固定したスタイルをもたずにさまざまな描き方を横断している。内容を超えた形式にも意識が払われているゆえに、わたしのような漫画の部外者でも入っていけるのだ。写真_convert_20130707085729
朗読は大好きな『ア○ス』のネームを読んでいただきたいと思っていた。ひとりの女が素っ裸になって脳内世界の外に出ていく話で、通常の漫画の圏内から飛び出している。パロディー漫画からスタートしたので、ここでひとつ自分を掘らないといけないと取り組んだというが、だいぶ前のことなので話の顛末を忘れていて、自分の書いた結末に驚いていらした。予想のつかないものに引っ張られて描くとき、その勢いは必ず読者に伝わるものだ。

漫画は絵と言葉とコマ割りによって空間をつくることだということばにも納得。意味だけを伝えるものではないということだ。これはすべて表現に通じる。(2013.7.8)

会田誠さん、ヘラヘラした真剣さ!

ツーショット_convert_20130602080945昨夜、神保町ボヘミアンズ・ギルドで会田誠さんをゲストにお迎えして、2013 年最初のカタリココをおこないました。口ベタでうまくしゃべれないとご著書のなかで言っていらしたので、もし沈黙がつづいたらどうしようと思っていたのですが、まったくの杞憂。最初からご機嫌よく話してくださいました。

わたしが現代美術というものを知ったのは70年代、当時はモノ派など抽象を極めた立体が主でした。言葉を忌避し、タイトルには「無題」とつけ、批判の言葉は「文学的だ!」が常套句。それにつづく80年代の印象はぼんやりしており、90年代になっていきなり村上隆さんを筆頭に会田誠さんらが登場してきたという感じです。そのあいだに何があったのか、ということを会田さんの口から訊いてみたい、今回の目標のひとつはそれでした。

会田さんによれば、80年代のトレンドはビデオ、パフォーマンス、インスタレーションだったと。なるほど、ラフォーレでビル・ビオラのインスタレーションが行われたのは、あのころだったのではないでしょうか?つまりメインストリームはアンチ絵画。もちろん、絵画も存在していましたが、マンガのキャラクターをモチーフにしようものなら、これは絵画ではないという批判が飛ぶような状況。絵画の形式性を究めることこそが美術家の仕事とみなされていたわけです。

それが変化したきっかけは? 新世代の感覚を救い上げるギャラリストの登場ですかね。

そんな流れがざっと語られたわけですが、肝心なのはその先です。
新しいトレンドに合わせてマイナーチェンジをしながら制作していけば、作品のイメージがはっきりして、わかりやすい。とくに海外で人気をあげるにはそうするのがよい。でもそんなみえみえのことってできないなあ、第一不自然だ、というのが会田さんなわけです。10代で聴いたビートルズの「ホワイト・アルバム」の影響が大きいといいます。あの、なんでもアリのラインナップ。美術がああじゃいけないか。緻密な絵画あり、ヘタウマふうあり、立体あり、映像ありの「会田誠」の誕生です。

つい先日行ってきた香港のアートフェアでは、あらゆるタイプの美術作品が一堂に介していたそうで、これでいいと思ったそうです。いろいろなものが生まれてしまうことに真実がある。それをひとつの流れにまとめるのは、ただ商業的に効率がいいからにすぎないわけなのだから。DSC_5034_convert_20130602100846.jpg当たり前のことですが、美術史というのはつくられたものです。リニアに進んできたように美術書には書かれているけど、それは美術史家や評論家が都合よく要素を並べて直線的な文脈をつくったから。しかも現代はそこに激しいコマーシャリズムがかぶさっているために、問題がもっと複雑になってます。

会田さんは、学生時代からリニアな美術史観には疑問をもっていたといいます。中心にあったのは、自分はいったい何者か?という芸術家にとってもっとも重要な問いだったのではないでしょうか。

西洋人は面で攻めるのが旨い。アメリカンコミックを見ていてもそう思う。でも日本人である自分が得意とするのは線の表現、しかも感情移入せずに淡々と描くことだ。そうした発見がいまの彼につながっています。

サラリーマンの死体が山をなしている「灰色の山」が今回の展覧会に展示されていました。ヘラヘラしているのとはちがう、淡々と根気づよく描く「会田誠」が透けてみえる圧倒的な大作です。描いているときは何も考えない。ただひたすら手を動かすのみ。それが自分流だとわかっているとはいえ、とても、とてもつらい時間。ああ、どうしてこんなことを思い付いてしまったのか。後悔、先にたたず。

でも展覧会が終わり、当面はすべきことのない空白状態となったいま、あの時間こそが充実していたように感じてしまう、そういう彼のつぶやきは、痛いほどよくわかりました。ふたりの矛盾した自分を飼っている、それが創作者なのでしょう。

会田さんはエッセイ集2冊と小説1冊を出されており、なかなかの文章家でもあります。数日前に小説『青春と変態』を読みましたが、とてもおもしろく、正直なところ驚きました! そう伝えると彼は、ちょっと古い感じがしませんか?と不安そうに訊いてきました。そう言われてみれば、そんな感じがしないでもない。でも同時に新鮮でもある。古風で新鮮。もしかしたら、この矛盾こそが会田芸術のキモかもしれません。

おもしろかったのは、「絵みたいに文章を書くんですよ」という言葉です。まず思いついたフレーズを、パソコンの画面上にぱらぱらと並べていって、空いたところに言葉を入れていく。主要モチーフを描いて白地を埋めていく絵画の空間感覚です。なるほどなあと思いました。

入口_5038_convert_20130602081143_convert_20130602081236さっきも言ったように、会田さんのしゃべり方はへらへらしてます。そう、昨年の祖父江慎さんを思い出すような、にこにこ、へらへらぶり。でもそうなるのは、答え方がわかっているものについてで、即答できないような問いだと、にわかに表情が変わるのです。うんうんなるような感じ。一生懸命に考えているからでしょう。公正に考えようとすると、いろいろな考えが浮かんできて、その調停をしながら語るので、呻吟になるのです。
名は体を表すといいますが、とても誠実な人柄が実感され、さわやかな気分で帰宅しました。で会田さんのほうは、携帯で呼び出されて若いアーチストの打ち上げに。ここにも彼の誠実さを見る思いがしました。(2013.6.2)
*写真撮影:大越元さん。「ありがとうございました!」

今年最後のカタリココ、鬼海弘雄さんの箴言が効きました!

昨晩の鬼海弘雄さんは快調でした!キカイ節でどんどんと飛ばすので、質問を挟む余地もありません。いつもはときどき会場に視線をむけて様子を確かめつつ進めるのですが、昨晩は見なくとも観客の集中度がビンビンと伝わってきて、ただ流れのままに任せておけばよかったのです。

鬼海さんはアフォリズムの人で、言葉が屹立します。とくに印象深かったのは、「わたしは人間は美しいということを写真にしているのだ」という言葉でした。人間は美しい! これはなかなか口にできない言葉です。少なくともわたしはそう言えない。そう信じる根拠を持っていない。

鬼海さんがこの言葉をさらっと言えてしまうのは、記憶の古層にその感触をはっきりと抱いているからです。故郷の山形県醍醐村での子どものころの体験を描いた最新エッセイ集『眼と風の記憶』を読むと、そのことが痛切に伝わってきます。

人間は本来美しい生き物なのだ、ということを写真を通じて問うていく。それが彼の表現者としてのミッションなのです。思えば、生きてきた時間のなかから醸成する問いを、死ぬまで発ししつづけるのが表現の行為ですが、口に糊することに傾いたり、ささいなことに心をとらわれると、ふとそのことを忘れがちになります。昨夜は原点に立ち戻ることができて身が引き締まりました。カタリココは再確認の場でもあるのですね!

昨夜で2012年のカタリココが終わり、来年は7年目に入ります。年末に古書店主の方々と企画会議をしながら2013年のカタリココについて詰めていきます。4月にはラインナップを発表いたしますので、みなさまどうぞ楽しみにお待ちください。(2012.12.9)

台風もなんのそのだったカタリココ読書会

R0020161_convert_20121001185753.jpg昨日夕方、懸念される台風到来のなか、カタリココ読書会が目白のポポタムでおこなわれました。最近はメディアが台風のことをさわぎすぎで、出足が鈍るのではと心配しましたが、勇気ある方々がご参集くださり、ちょうどいい人数で親密な雰囲気のなかでおこなわれました。
わたしがアニー・エルノーの『シンプルな情熱』を提案、それに応えるかたちで平田俊子さんが室生犀星の『蜜のあわれ』を挙げてくださり、課題図書が決定。一見ミスマッチふうの二冊の組み合わせに、新鮮な場が生まれそうな胎動を感じていたのですけど、実際にそのとおりになりました! 
第一部では『シンプルな情熱』を俎上にあげました。今回読み直して改めておもしろいと思ったと伝えると、平田さんは、「それほどですか、これは恋の病にとりつかれた女の闘病記のようなものでさして珍しくもないと思いますけど」とアンチを唱え、えっと驚いてもごもごと抵抗するわたし……。つくづくと議論に弱いなと思いましたが、こういう機会でもないと、どこに惹かれているかを解き明かしたりはしないものです。
今朝になってようやくわかったのは、エルノーのなかにあるのは、自分の体験を素材に作品を書こうというのではなく、自分の内部を内視鏡でみるように書きたかったんですね。その切迫した思いにわたしは惹かれたわけで、作品の善し悪しはいわばどうでもいいんです。どうもわたしは価値判断が宙づりになるような作品に寄っていく傾向があるみたいで、そういうことがわかったのも、昨夜の成果でした。
後半は「蜜のあわれ」でしたが、平田さんが室生犀星がどんな人だったか(ふたり愛人がいたことなども!)、金魚のお嬢さんのモデルとなった金魚が、犀星の家の庭のどのような池に飼われていたかなどを、詳しく解説してくださったお陰で、とてもイメージが立体的になりました。R0020188_convert_20121001185842.jpg
「シンプルな情熱」も「蜜のあわれ」も両作家にとってかなり冒険的な作品です。でも、世間が何といおうと構わない、書いてしまえ!という切迫感に共通したものがあり、わたしの提案に「蜜のあわれ」で応酬してくれた平田さんのセンスに改めて感じ入った次第です。
最後にわたしが平田さんの『宝物』という詩集から表題作を朗読させていただきました。この詩をつらぬく生命感にもエルノーや犀星に通じるものがあると、声に出して読みながらつくづくと思いました。(2012.10.1)

すてきに楽しかった片岡義男さんのカタリココ。

IMG_1908_convert_20120715165101.jpg片岡3_convert_20120715165226会場の古書ほうろうに片岡義男さんが到着したのは、開演15分くらい前でしょうか。お店に入るなり、棚をきょろきょろと見まわして「いい店ですね!」
この一言で今日のトークはうまくいきそうだと思いました。
片岡さんはそのご著書のなかで、ご自身の作品について丁寧に考えを述べています。実に理路整然と客観的に。読めばだいたいのことがわかるし、質問の答えも想像できてしまうほど。しかもトークの発言はいつも明快で、断定的で、意見をはさみ込む余地がないのです。どうしたらおもしろいトークにできるだろうと、ここ二日ほど悩んでました。
筋道を立てすぎると失敗します。相手がそのラインにのってこないと、こちらの態勢が崩れてしまうのです。かといって、ぶっつけ本番で望んでもおもしろくないのは、こと片岡さんにおいては明らかです。ぶつけるものを用意してないと会う意味がないのです。
そのへんの兼ね合いがもっともむずかしい点で、いつもトーク前半では相手の信頼を得て何でもぶつけられる状態をつくりだすのに気を配るのですが、この夜はなんというか最初からリラックスした関係ができているような感じがしました。きっと好きな本たちに囲まれて片岡さんの気持ちがひらいていたのでしょうね。開演ぎりぎりまで1950、60年代の『映画の友』を箱から引っ張りだしてらっしゃいましたから。
終わって「今日はしゃべりすぎたなあ」と笑ってらっしゃったほど、よく語ってくださいました。でも私がもっとも印象的だったのは、文章のなかで出会う片岡さんがすみずみまで意識が行き渡った存在であるのに対し、生身の片岡さんがノンシャランでどこか茫洋とした雰囲気を持っていたことです。まるで自分を放し飼いにしているかのよう。彼のなかには意識的な自己と放し飼いにしている自己が共存していて、書く段になるとふたつを一気にたぐり寄せ、フィクショナルな状態にもっていくのでしょう。その落差に、作家片岡義男の秘密があるように感じました。片岡2_convert_20120715165416
終わって残ったお客さんたちとお店で打ち上げをしたのですが、そのあいだも片岡さんはすぐ横の棚(ちょうど音楽関係の棚でした)に目をはわせ、すっすっと本を抜いてはテーブルに積み上げていきます。家にあるんだけど、買ってしまうね、と言いながら。(2012.7.16)



融通無碍な祖父江慎さんのエネルギーに感化された夜!

1_convert_20120510233713.jpg2_convert_20120511000635.jpg4_convert_20120510234054.jpg5_convert_20120510234139.jpg2012年最初のカタリココが5月9日、神保町ボヘミアンズ・ギルドで行われました。その日は低気圧のいやな感じの陽気だったんですが、カタリココがはじまると祖父江さんの融通無碍なエネルギーが私にもじわじわとしみてきて、終わったらすっかり快調に。 自己なんてない! 幸せなんてものもない! ただ夢中になる状態があるのみ。いちばんおもしろいのはかたちに到達してない悩める状態のときだ! 忘れるのが力だ! つぎつぎと飛び出す言葉に説得力があり、書ききれないほど面白い話がたくさんでした。『群像』の表紙と目次デザインをしたときのこととか、朗読してくださった「リトルモア」15号に掲載の「ピノッキオ」のこととか、世界中の「ピノッキオ」の本を700冊も集めてその内容がどう変遷したかを調べている話とか、一度こだわったことには突き進んでいくんです。自分にこだわっても意味がない、でも自分が興味をもったことは半端なことじゃ済ませない。ここが大切。いろいろと勉強になりました! 上の写真はツーショットがどう変化していったかを示してます。まずふつうに、つぎは背中合わせで、そのあとは変顔で!(私も祖父江さんの真剣さに必死で付いていってます!)最後はボヘミアンズのスタッフの方々と記念撮影。(2012.5.11)

昨夜の畠山直哉さんとの連続トーク、第二弾!

R0015846_convert_20111005212535.jpg昨夜、ボヘミアンズ・ギルドでのカタリココで、畠山直哉さんと日曜につづいて、2回目のトークをしました。階段からこぼれんばかりの満場のお客さんを前にノンストップで2時間15分。なかなかの体験でした。
都写美のトークは私からの質問に畠山さんが答えるという質疑応答形式でしたが、昨夜はこちらの問題提起に彼が答え議論し合う場面もあり、1回目とはちがう雰囲気で進行。たとえば、『彼らが写真を手にした切実さを』のなかで私が書いた<日本写真>とは何か?という設問に対し彼は、そういう括りではなく個々の活動のなかにあるものを見て欲しい、という当然至極の意見で切り返します。でも、概念を持ち込むことで対象化が可能になるのでは?と踏ん張る私。「日本人論」でも「世代論」でも、「……論」と付くものにはつねに眉につばすべきものではありますが、人々に何かを問い掛けるときには論議の的となるべきものが必要です。もちろん名付けて囲い込むような政治性には注意しなければなりませんが。昨夜の議論はこういうことのためにあの本を書いたのだと思える開かれた内容で、うれしく思いました。
都写美の写真展には、東日本大震災以前と以後の陸前高田の風景写真を展示したコーナーがあります。畠山さんが生れたときから十何年、家を出れば必ず目の前にあったという河の写真もあり、こういう風景を見て育ってきたのだなと見入ったのですが、今回の展示において、発表の意図なく撮ってきたプライベートな写真も公開したことについて彼は日曜日のトークで、「このように自分を差し出すしかなかった」と語りました。そして昨夜はさらに、「このような大きな災害を体験したあとには、単に問いを投げかけるだけでは済まなくなった、これまでのどんな表現も自分を納得させられなくなってしまった」と強い調子で述べました。あらゆる歴史を切断する出来事だったのです。
上の写真はこの夏パリに行ったときに古書店で見つけたものです。「1940年、空爆のあとのロンドンの図書館」とあり、撮影者不詳。だれがどのような状況で撮ったものかわかりませんが、いろいろと湧いてくる思いを簡単にことばにするのがもったいないような気にさせる写真です。
畠山さんの写真には「破壊」のシーンが多く登場します。子供のときからそういう光景に惹きつけられてきたと言い、今回の展示では陸前高田のコーナーのあとに「ブラスト」シリーズがあり、発破によって岩が炸裂する光景が巨大スクリーンにスチール写真で連続映写されています。この構成力が彼の凄さだとつくづく感じ入ったのですが、考えているうちに、「自分を差し出す」ことの意味は、被災地の写真ではなく、むしろこちらのコーナーに象徴されているような気がしてきました。爆破された図書館の写真が脳裏に浮かんできたのはそのあとです。なぜだかわかりませんがそうなったので、ここにその写真を載せることにしました。『アサヒカメラ』9月号に寄せた文章で畠山は「誰かを超えた何者かに、この出来事全体を報告したくて写真を撮っている」と述べていますが、この写真にもそれに通じるものがあるように思えます。(2011.10.5)