佐藤貢展とカタリココのご報告です!

IMG_8728_2_convert_20181009170316.jpg今回の展示は、インドの旅からもどって和歌浦の海辺に暮らしはじめた頃から最近作まで、10年以上の幅をもった作品群でした。むかしの作品を取り出して細部を点検したりするなかで、いろいろと思ったことがあったのではないか、とトークの最初で話を振ったところ、「終わったことには何の感慨もないんです、いや、ちゃんと作業はしましたけど、ただやるべきことを淡々とこなしただけという感じで」と話の接ぎ穂がないような返答。うーむ、そう来たか、と腕組みし、ここでスライド上映に移りました。

片づけたら貸してやると言われて、岩の崖を壁の一部として利用して造った秘密基地みたいな建物に手をつけたのが、創作のきっかけになったそうです。捨てるものが出る。これでなにかできないかと考える。そのころ、流木で額を作るのが流行っていたので、まねして作ってみたところ、四隅がうまく連結しなくて空きができ、苦肉の策として隙間の部分にほかの材料をつぎ足したら、おもしろくなりました。このとき、「商品をつくる」発想が「美術」へとシフトしたのでしょう。
このようにして、「視野が狭くて思い込みが強い自分」が、思いどおりにいかないことに遭遇するたびに、壊され、自由になっていくのを実感します。終わったことには関心がむかないのは、もしかしたらそうした歓びをもっとも優位に置いているためかもしれません。

はじめにイメージがあるのではなく、作品のために材料を探すのでもなく、自分のところに寄ってきたもの、手元にあるものを眺めることからはじめる「受け身」の制作。そう聞くと消極的のようですけど、運命に抗わずに受け止めるというのは彼の信念のようです。自らの意志で物事を操らずに、時空の判断にゆだね、進んでその運命に身を投げ出すのです。そのような考えに至ったいきさつについては、彼の著作『旅行記 前・続編』(iTohen press)お読みください。IMG_8739_convert_20181009161459.jpg
会場には、水平にしたスピーカーの上に木の実がのせられ、それが空気の振動により躍る、という作品も展示されました。これに仕込まれた音源は彼の自作ですが、なかなかすてきでした。あるときふっと音を作りたいなと思って押し入れを開けると、持っているはずのないミキシング装置がそこから現われた! と、なんだかオカルト風ですが、そうではなくて、酔った友人が自宅に持ち帰るのが面倒になり、彼の留守のときにあがりこんでしまい込んでいったのに、気がつかなかったのです。

このように、音を作りたいと思うやいなや、現実がその方向に動きだ、ということが彼の周辺ではよく起きます。自分の気持ちを時空の動きにあわせてつかまえる特異な感覚を持ちあわせているようです。それは創作にも活かされています。メインとなるパーツを手にし、別の廃品を付加して形をつくりあげていきます。ゼロから生み出すのとはちがう出会いの感覚が生きているのであり、微妙で、あやうく、はかないのに作品にどこか生命感が漂うのは、そのためのような気もします。

気がついた方もおられるでしょうが、作品は壁に打った一本の釘にひっかけられています。大きなものでも、たったひとつの支えによって固定されていて、見た目だけでなく、構造的にもバランスが考え抜かれているのです。作品がどこか建築的な印象を漂わせている理由がつかめたように思いました。

このように、佐藤貢の作品について書きだすと止まらなくなりますが、作品の繊細であやうい印象と、ナマの佐藤さんのギャップに触れられたのも、ライブの場ならではの醍醐味だったと思います。彼のユーモラスなストーリーテラーぶりに、会場からは終始笑いが絶えず、繊細さと強靭さの振れ幅の大きさにうならされ、人間の奥深さを想いました。(2018.10.9)

*『旅行記 前・続編』はボヘミアンズ・ギルド(スズラン通りの書店)で入手できます。