2017年11月11日、奈良美智さんとのカタリココ。

IMG_2393_convert_20171120205708.jpg奈良美智さんのインタビューや発言はたくさん活字になっているので、こういう場に出られることは多いかと思っていたら、なんとお客さんを前にトークするのははじめてとのこと。とても貴重な機会でした。カタリココは一年前とかかなり早くに出演依頼をしなければならず、そんな先のことを、といつも申し訳ないといつも思うのですが、奈良さんによれば、前々から言ってくれたから引き受けた、とのことなのです。どういうイベントでどういう人が出ているか、聞き手がどんな人でどんな本を書いているかなどを調べて準備したいからで、3週間前に言われたのではそれができないから嫌だそうなのです。物事を流せない、立ち止まって対したい人なのですね。
IMG_2407_convert_20171120205803.jpg 正直にうちあけると、私は奈良さんの作品と出会えた、と感じたのは実は最近のことです。写真は好きでしたが、絵画については印刷物でしか見ていなかったから、イラストのように感じていました。でも今回、豊田市美術館の展覧会を観て驚いたのです。一言でいうと凝視を求める絵。シンプルなモチーフのなかに込められた時間がじわじわと立ち上がってきて、深海に引き込まれたのです。
そもそも、奈良さんには写真家になろうとか、美術家になろうとかいう気持ちはなく、ただ描いていられる環境が欲しくてドイツに行き、長いことそこに留まっていました。そこではみんなと飲んだり遊んだりする時間をたくさん持ったけど、そういうことが作品に出る人と、出ない人がいる。出てしまうのが自分なのだとわかった、というお話には共感しました。自分を掘るとことが大事なのです。それがドイツの場所だったのでしょう。
奈良さんのに絵は背景が描かれません。その意味でちょっと日本画のようでもありますが、自分は人に見せるために描くのではないと悟ったとき、背景がどんどんと消えて、人物がひとりぽつんといるような絵になったとのこと。日本を離れて、自分と対面する孤独な時間のなかから掘り出されたスタイルだったのです。
奈良さんの絵は、熊谷守一の絵を思わせるところがあります。印刷物で見るとなんということにのに、ホンモノを見るとすごい緊張感。守一も自分の絵に到達するのに長い時間がかかっていますが、西洋絵画と日本画が合体したような、だれにもまねできないおもしろさがあるという意味で、奈良さんは熊谷守一の衣鉢を継いでいると言えるかもしれません。
IMG_2413_convert_20171120205739.jpg 最近は正面から描いているものが多いですが、そこにも彼なりの考えがあります。正面の構図にはそれほどバリエーションがなく、だれもが描きやすい。それを、だれでも使える道具を使って、自分にしかできないものにする、そういう修業をいまの自分はしているのではないか。きっとモチーフが変わらないのもそのためでしょう。
朗読では、郷土弘前の出身で、医者をしながら方言詩を描いた高木恭造の詩を三篇朗読してくれました。意味はほとんどわからなかったですけど、たちまち会場が北国の空気に包まれたのに驚きました。
奈良さんははじめて会うのに「懐かしい人」でした。東北訛りのせいか、なにか暖かいものに包まれたような気がしました。「若いときはいつ死んでもいいと思っていたけど、いまは生きたい、少数の顔の見える人たちのために何かをしたい」という彼の言葉が心のなかに残響しています。(2017.11.21)