森山大道さんと内田美紗さんをゲストに、写真とことばの関係を探りました。

内田美紗さんにお会いしたきっかけをお話し、「森山大道さんのお姉様です」とご紹介すると、会場にどよめきが起きました! この事実はほとんど知られていませんが、大道さんの写真と美紗さんの句をあわせて『鉄砲百合の射程距離』(月曜社)をつくったポイントはその事実を知らせることではないので、本のなかでは隠したものの、こうしておふたりが並んだからには公表しないわけにはいきません!
katarikoko_-29_convert_20170429163940.jpgkatarikoko_-19_convert_20170429164154.jpgまず本の感想を伺ったところ、森山さんのセリフがふるっていました。「姉のほうがヤクザだなあ。ボクは写真の世界ではちょっとはヤクザかもしれないけど、姉のほうが上手。見知らぬ人がここにいるという感じがする」。
そもそも、その人のふだん見えない部分が表れ出るのが表現行為のおもしろさです。その度合いが高いほどすぐれた作品です。一方、知らないのに知っているような気になってしまうのが兄弟関係。本書に接した森山さんの驚きは両方の相乗効果だったのでしょう。
冬苺
おふたりに共通するものに官能性があります。俳句と写真のセレクト作業をしながらそれを強く感じました。色っぽさ、人間のあやうさ、いやらしさに目を留めるところ、ぷるぷると震えるような瞬間を見逃さないところが似ているのです。ですから、本書ではその部分を強調しました。美紗さん曰く、「セクシーであることは大事です、男でも女でもそう。フランスの作家が、異性から興味をもたれなかったらその人は終わる、と言ってますけど、そう思うんです」。
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私のなかにつねにあるのは、「表現とは何か」という問いかけで、話はおのずとその方向に進んでいきました。
「表現っていうのは基本的にあざといものだと思うんです」(美紗)
「そうだね、隠しても隠して見えてしまう」(大道)
つまり、表現者になったからにはあざとさから逃げられない、自分のあざとさを自覚しつつ、それに流されずにどう緊張感を維持するかが勝負のしどころなのですね。

改めて、表現とはその人が世界をどう認識しているかを表明する行為なのだと感じました。人生のあれやこれやの出来事や、それにまつわる感想や情感を伝えるものではない、それではお話の域を出ず作品には昇華しません。日々を生きながら実感していることを人間の事象として普遍化させる作業なのです。MisaDaido_cover_obi_W640-min_convert_20170430115854.png「内田美紗」という特異な才能を、結社の周辺で事が進んでいく俳句界に留めておくのはもったいない、トークをしながらつくづくそう思いました。彼女の作品がジャンルの境界を超えて多くの読者に届くよう、その活動の場が広がるよう微力ながら努めていくつもりです。

5月7日まで森岡書店銀座店にて、美紗さん、大道さん、わたしのサインがはいった『鉄砲百合の射程距離』を販売しています。この本に登場する森山さんの写真展も同時開催。大道さんの写真もお手頃な価格で買い求められますので、ぜひお立ち寄りください。一般書店での販売は連休明けからになります。撮影:谷本恵(2017.4.30)