アツコバルーで植田正治写真展「軌道回帰」がはじまりました。

kidokaiki.jpgアーチストの軌跡を追うときに興味深いのは、順調なときではなく、困難な時期にそれを乗り越えるのに何をなしたかを探ることです。植田正治の危機は人生で3度あったようにと思います。一度目はリアリズム写真一辺倒になった戦後の一時期で、演出して撮る植田のような写真は隅に追いやられました。三度目は病気で体が麻痺した晩年、二度目が植田の写真活動を支えつづけた妻が亡くなった1983年です。
植田は写真館を経営していましたが、その実務をほとんど受け持っていたのは妻の紀枝さんでした。安心して仕事を任せられる妻がいたからこそ、撮影に飛びまわっていられたのです。その援助者を失った痛手は心身ともに大きく、しばらく写真が撮れない状態におちいりました。
砂丘を舞台にしたファッション写真が撮られはじめられたのはこの時期です。子息の充さんのアイデアを実践したこの砂丘シリーズにより、植田は世界に羽ばたきました。そして同時期にもっと内省的な視線で制作されたのが、今回展示する「軌道回帰」です。ポラロイド社から発売された35ミリフィルムに刺激されて撮影し、私家版の写真集として刊行されました。これはプレート状の印刷物がケースに入った写真集で、今回はそのプレートそのものを会場に展示いたします。ご覧のようにあわくもろく揺らぎやすい写真の特性に惹かれているさまが伝わってきます。ささやかでかけがいのないイメージの数々に、世間に知られる明快さとは異なる植田正治の一面を見いだすことでしょう。→アツコバルー