しりあがり寿さんの融通無碍な空気に乗って。

IMG_0007_convert_20130707085309.jpg2013年7月5日(金)、しりあがり寿さんをゲストにお迎えし、カタリココが開催された。場所は目白のポポタム。藤枝奈己絵さんの漫画展がおこなわれている会場に、いつもとはちがうレイアウトで椅子を並べてみた。

しりあがりさんとお会いするのは、今回がはじめてである。トークショーを拝見したことはあるが、お話をしたことはない。でもはじめてのような気がしなかったのは、昨年ボヘミアンズギルドで祖父江慎さんとお話ししていたからだろう。ふたりは美大の漫画研究会の仲間だ。はじまる前は祖父江さんが学生のころどんなだったかというお話を聞いていて、時間がきたらそのままカタリココに移行。しりあがりさんの単行本の装丁の多くは祖父江さんが手がけているので、ここにこんな仕掛けがあるんですよ、と本を開きながら例を示してくださるなど、ふたりのつながりを意識して企画したわけではないのに、連続した内容になったのはおもしろかった。

実はわたしは漫画をほとんど読まない。子供のときからそうだった。漫画の様式的な表現が苦手なのだ。だが、彼は言う。漫画の強みは様式にあると。頬に汗を描けば焦っていることを表す、というように、記号化された描写があることで描く内容に速度がでる。漢字のようなものなのだと。きっとわたしは漢字練習が足りないのだろう。しりあがりさんは固定したスタイルをもたずにさまざまな描き方を横断している。内容を超えた形式にも意識が払われているゆえに、わたしのような漫画の部外者でも入っていけるのだ。写真_convert_20130707085729
朗読は大好きな『ア○ス』のネームを読んでいただきたいと思っていた。ひとりの女が素っ裸になって脳内世界の外に出ていく話で、通常の漫画の圏内から飛び出している。パロディー漫画からスタートしたので、ここでひとつ自分を掘らないといけないと取り組んだというが、だいぶ前のことなので話の顛末を忘れていて、自分の書いた結末に驚いていらした。予想のつかないものに引っ張られて描くとき、その勢いは必ず読者に伝わるものだ。

漫画は絵と言葉とコマ割りによって空間をつくることだということばにも納得。意味だけを伝えるものではないということだ。これはすべて表現に通じる。(2013.7.8)