やっぱりすごいや、ベーコンは!

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昨夜は念願のフランシス・ベーコン展へ。金曜夜はひとりで見にくる静かな客が多い。日中とはちがうこの集中度の高さがとてもいい。そして、やっぱりすごいや、ベーコン。絵画という形式へのあくなき追究。いま自分が目前にしてるのは「まぎれもなく絵画だ!」という感動を与えてくれる。

ベーコンが写真をよく見ていたことは知られるが、写真からインスピレーションを受けた、とうよりも、どうしたら写真にはできないことを絵画でできるか、を考えるために見ていたのではないか。1909年生まれだから、アンリ・カルティエ=ブレッソンの同時代人である。時代はまさに写真にむかって進んでいた。そのときに彼は絵画に取り組む決意をしたのである。

多くの画家が、対象を描いていては写真と勝負ができないと悟り、対象のない抽象絵画の探求をはじめた。ところが彼は対象を手放さなかった。それはたぶん彼が、具体的な対象から受け取るダイレクトな刺激を体の奥深くで知っていたからだろう(ベーコンはゲイ)。その感覚を引き出し、あらわにすることに、描く喜びがあったはずだ。だが知的な彼はその快感だけでは己を満足させられず、絵画という形式とその歴史的遺産を検証する旅にでた。すなわち、対象物が何なのかわかるような三次元的な描き方をしつつ、同時に面と線という二次元的な要素を組み合わせて、具象と抽象の境を越境しようとしたのである。

二次元と三次元が錯綜し、透明と半透明とが入り乱れる、独特の絵画の空間がこうして誕生する。すごく強靭な実験精神の持ち主だし、時代の流れに巻き込まれまいとする抵抗の姿勢も半端ではない。

会場で上映されていた映像のなかで、偶然をうまく呼び込めるといいものが描ける、というような発言をしていた。これは写真家がよく口にする言葉だ。彼の制作態度は写真の撮影に近かったのかもしれない。下絵を描いて何を描こうとするかを綿密に把握してからむかうのではなく、下塗りをしたキャンバスに、即興的に中心となる像を描いていく。

cont_1690_1.jpg「スフィンクスの習作」などはまさにそういう感じで、ベタ塗りした背景と、絵筆のストロークが出たスフィンクス像の描写に明らかな差がある。ほかにも、溶け出すような顔や肉体などすべての具体像に、素早い筆の動きが感じられた。
作品にはガラス入りの金縁の額を付けるよう指示したといい、今回の展示もそうなっていたが、この指示もとても興味深い。本人は対象と一体になるような描き方をし、それを喜びとしたのに、観客にたいしては、対象から引き離そうとしたわけだから。

ここに、画家としての彼の強烈な自意識をみてとることができる。絵画のなかで可能な限りの実験をした彼にとって、これらはすべて絵画なのです、と強調する必要があった。人物は溶けても、額が溶け出して絵画以外のものになってしまってはだめなのだ。絵画という形式へのこの徹底したこだわり、その背後にある歴史意識。まったくをもってすごい人。(2013.4.27)