写真展「NY1980」がはじまってます。27日まで無休です。

R0020292_convert_20121021110943.jpg今回は小全紙という大きなプリントを展示してます。このサイズで見るのは私もはじめてで、これまでには気づかなかったことがいくつかあり、たとえば「地下鉄」という写真は左に向かってわずかに傾いてます。車両が左手のトンネルから出てきたところを撮っているからでしょう。気持ちの照準がそこに合っているのです。また雪の日に廃墟のファサードを正面からとらえた写真(廃墟)では、建物の表面のざらっとした質感が浮かび上がり、これもまた迫力が増しました。

R0020295_convert_20121021111247.jpg以前、このwebでポートフォリオの予約がはじまり、どきどきしている話を書きましたが、一番乗りで予約くだったコレクターの高橋龍太郎さんが、初日にお越しくださいました。もちろん初対面です。こんなこと伺って失礼かしらと思いつつ、どうして買ってくださったのですか? と口走ってしまいました。まだ実物をご覧になる前にずいぶん英断をなさったと私には思えたのです。すると高橋氏は「ご著書を読んでましたから、まちがいないと思って」とさらっとおっしゃられ、大変感激しました。どこでどんな方が読んでおられるか、わからないものです。これからも緊張感をもって書かねば!(写真は高橋龍太郎さんを囲んで記念撮影)
 
昨日は実におもしろいコメントをくださった青年がいました。2時間くらい黙って写真を見つづけたあとに、フェリーの乗客を撮った写真(”Statten Island Ferry”)の前にじっとたたずみ、この写真には過去がない、何かがはじまるということだけがある、これまで自分が見てきた写真は、過去の時間の積み重ねの結果としてこれがある、ということを見せた写真が多かったけど、ここにある写真にはどれも起点が写っている。先しかない。だからどの写真にも不安があるし、怖い。卵が割れるような感じ、と。

まさにあのころは過去がなかったのです。あるのはその日だけ、その瞬間だけであり、先がどうなるかはわからなかった。それだからこそ見ることの至福があったのです。そうした当時のわたしの状況についてなにも知らず、被写体への情報もなく、ただ写真を見つめるだけでそう洞察した彼の鋭さに感服しました。そしてこれからも、書くこと、撮ることにおいて「卵が割れるような感じ」でありたいし、割れてしまった先の不安をエネルギーに転嫁していきたい、そう思ったのでした。(2012.10.20)