台風もなんのそのだったカタリココ読書会

R0020161_convert_20121001185753.jpg昨日夕方、懸念される台風到来のなか、カタリココ読書会が目白のポポタムでおこなわれました。最近はメディアが台風のことをさわぎすぎで、出足が鈍るのではと心配しましたが、勇気ある方々がご参集くださり、ちょうどいい人数で親密な雰囲気のなかでおこなわれました。
わたしがアニー・エルノーの『シンプルな情熱』を提案、それに応えるかたちで平田俊子さんが室生犀星の『蜜のあわれ』を挙げてくださり、課題図書が決定。一見ミスマッチふうの二冊の組み合わせに、新鮮な場が生まれそうな胎動を感じていたのですけど、実際にそのとおりになりました! 
第一部では『シンプルな情熱』を俎上にあげました。今回読み直して改めておもしろいと思ったと伝えると、平田さんは、「それほどですか、これは恋の病にとりつかれた女の闘病記のようなものでさして珍しくもないと思いますけど」とアンチを唱え、えっと驚いてもごもごと抵抗するわたし……。つくづくと議論に弱いなと思いましたが、こういう機会でもないと、どこに惹かれているかを解き明かしたりはしないものです。
今朝になってようやくわかったのは、エルノーのなかにあるのは、自分の体験を素材に作品を書こうというのではなく、自分の内部を内視鏡でみるように書きたかったんですね。その切迫した思いにわたしは惹かれたわけで、作品の善し悪しはいわばどうでもいいんです。どうもわたしは価値判断が宙づりになるような作品に寄っていく傾向があるみたいで、そういうことがわかったのも、昨夜の成果でした。
後半は「蜜のあわれ」でしたが、平田さんが室生犀星がどんな人だったか(ふたり愛人がいたことなども!)、金魚のお嬢さんのモデルとなった金魚が、犀星の家の庭のどのような池に飼われていたかなどを、詳しく解説してくださったお陰で、とてもイメージが立体的になりました。R0020188_convert_20121001185842.jpg
「シンプルな情熱」も「蜜のあわれ」も両作家にとってかなり冒険的な作品です。でも、世間が何といおうと構わない、書いてしまえ!という切迫感に共通したものがあり、わたしの提案に「蜜のあわれ」で応酬してくれた平田さんのセンスに改めて感じ入った次第です。
最後にわたしが平田さんの『宝物』という詩集から表題作を朗読させていただきました。この詩をつらぬく生命感にもエルノーや犀星に通じるものがあると、声に出して読みながらつくづくと思いました。(2012.10.1)