すてきに楽しかった片岡義男さんのカタリココ。

IMG_1908_convert_20120715165101.jpg片岡3_convert_20120715165226会場の古書ほうろうに片岡義男さんが到着したのは、開演15分くらい前でしょうか。お店に入るなり、棚をきょろきょろと見まわして「いい店ですね!」
この一言で今日のトークはうまくいきそうだと思いました。
片岡さんはそのご著書のなかで、ご自身の作品について丁寧に考えを述べています。実に理路整然と客観的に。読めばだいたいのことがわかるし、質問の答えも想像できてしまうほど。しかもトークの発言はいつも明快で、断定的で、意見をはさみ込む余地がないのです。どうしたらおもしろいトークにできるだろうと、ここ二日ほど悩んでました。
筋道を立てすぎると失敗します。相手がそのラインにのってこないと、こちらの態勢が崩れてしまうのです。かといって、ぶっつけ本番で望んでもおもしろくないのは、こと片岡さんにおいては明らかです。ぶつけるものを用意してないと会う意味がないのです。
そのへんの兼ね合いがもっともむずかしい点で、いつもトーク前半では相手の信頼を得て何でもぶつけられる状態をつくりだすのに気を配るのですが、この夜はなんというか最初からリラックスした関係ができているような感じがしました。きっと好きな本たちに囲まれて片岡さんの気持ちがひらいていたのでしょうね。開演ぎりぎりまで1950、60年代の『映画の友』を箱から引っ張りだしてらっしゃいましたから。
終わって「今日はしゃべりすぎたなあ」と笑ってらっしゃったほど、よく語ってくださいました。でも私がもっとも印象的だったのは、文章のなかで出会う片岡さんがすみずみまで意識が行き渡った存在であるのに対し、生身の片岡さんがノンシャランでどこか茫洋とした雰囲気を持っていたことです。まるで自分を放し飼いにしているかのよう。彼のなかには意識的な自己と放し飼いにしている自己が共存していて、書く段になるとふたつを一気にたぐり寄せ、フィクショナルな状態にもっていくのでしょう。その落差に、作家片岡義男の秘密があるように感じました。片岡2_convert_20120715165416
終わって残ったお客さんたちとお店で打ち上げをしたのですが、そのあいだも片岡さんはすぐ横の棚(ちょうど音楽関係の棚でした)に目をはわせ、すっすっと本を抜いてはテーブルに積み上げていきます。家にあるんだけど、買ってしまうね、と言いながら。(2012.7.16)