「ことばのポトラック」は実践の場なのだ、と再確認した午後。

昨日、「図書新聞」で「ことばのポトラック」について座談会をした。出席は佐々木幹郎さん、堀江敏幸さん、私の三人。ふたりの発言を聞きながら、どうしてポトラックをはじめたのだろう、これはどういう活動なのだろう、と改めて考えた。そして今朝起きぬけに思ったのである。それは、一言で説明したくない、わかりやすいことばでくくりたくない、という当然至極のことだった。つまり、「ことばのポトラック」ってなんなんだろう考えつづけることが、この活動をつづけていく唯一理由なのである。

物書きはふだんはそれぞれの部屋で創作し、結果を活字にして社会に出している。「ポトラック」ではそのことばを活字ではなく、その場所にいる人にむかって声で発する。「ことばのポトラック」はことばをそのようなかたちで扱うための実践の場なのだ。その実践のためには、ことばを練り上げるのはもちろんだが、そのほかにもおろそかにできないことがたくさんある。場所の準備、スタッフとのやりとり、出演者への連絡、実際に会ったときの関わり方……。近づきすぎても離れすぎてもいけない。距離感と緊張感を正しく計測しなければならない。「ポトラック」は「実践」のために必要なこれらの能力を互いに手探りするための「実践の場」でもあるのだ。

サラヴァ東京で文芸イベントを行ったのは、オープンしてまだ間もない2011年1月、「ドアノーの写真人生」と題して、ロベルト・ドアノーついてのトークショーをしたのが最初だった。ドアノーと直接の親交があったピエール・バルー、ドアノーの『不完全なレンズで』を翻訳した堀江敏幸さん、私の3人で、ピエールの撮ったドアノーの映像作品を見ながらトークした。終わってから、そのときの感想を以下のようにウェブで書いている。
「徒党を組まず、ジャンルにも埋没せず、人と人の出会いを演出し、そこから生まれでるものに期待を寄せたジャック・プレヴェール、ドアノー、そしてピエール。微力ながらもそれにつづく者になりたいと強く思った一夜でした。」
「ポトラック」を呼びかけた根底にはあったのはたぶんこれだ。この日に自分でも気づかないうちに何か大きなものを引き継いだのだと思う。(2012.4.28)