5時間に及んだ畠山直哉さんとのトークショー!

トーク引き

















昨日の畠山直哉さんとのトーク「ことばのポトラックvol.7」は、午後1時過ぎにはじまり、終了したのは6時! 途中2回の休憩を挟んで5時間に及ぶ前代未聞のトークイベントとなった。会場は暖房を切って空調に入れ替えてもまだ観客の頬がほてっているほど暑く、外の冷たい雨のことなど忘れてしまうほどの熱気だった。
一晩たったいまも、まだ頭のなかをさまざまな言葉や考えがグルグルと旋回している。充実したトークのときほど、あのことをもう少し話したかったという思いが残るが、昨日も同じである。畠山さんとは昨年10月に2回行い、それでは足りなくて昨日の場をもうけたというのに、それでもまだ話つづけたいような気がしている自分に驚いてしまう。
ベースのところで深い信頼を置ける表現者はそう数多くいるものではないが、畠山直哉さんはわたしにとってそうしたひとりである。彼の率直さ、簡単に答えに飛びつかない態度、思考の深さ、粘り強さなどは、どのような疑問も考えも躊躇なくぶつけられる安心感へとつながる。すばらしい場を生み出してくれた彼に深く感謝したい。
畠山さんは震災以降、「いい写真」という言葉が空疎な響きしか持たなくなったいい、昨年写美でおこなわれた「ナチラルストーリーズ」展では、そう感じた自分を差しだすしかないと決めて、被災前と後の故郷・陸前高田の写真を展示に含めた。故郷にある石灰の山が出発点の「ライムワークス」ではライフストーリーを強調しなかった彼が、陸前高田の写真を自分の故郷というだけを理由に展示に含めたのだ。
この決断の重みを、これまでの2回では充分に理解していたとは言えなかったことに、昨日トークが終わって気がついた。言葉ではわかっていても、その勇気を感覚的に理解しえていなかったのは、わたしがある基準をもって創作活動を行ってこなかったせいかもしれない。わたしは大学は一応出たものの、そこでの教育を足場に表現を模索してきたわけではなく、無手勝流に、感覚的に、手探りしてきた。仕事の内容がいろいろなジャンルにまたがるのはそのためだろう。
それに反して彼は大学で受けた教育や出会った写真家の影響をもとに、もっと緻密に周到に写真表現を考え抜いて作品をつくってきた。そのことは彼の写真を見ればただちにわかるだろう。動員されている知性や思考の量が半端でないのだ。
そうやって組み上げてきた足場をいったん下りる覚悟で、昨年の展覧会は行われた。反響はどのようなものか、新たにどんな状況が生み出されるのか、またそれに自分はどう巻き込まれていくのか、不安は大きかったはずである。
震災前の写真は人生との関係を想像せずにおかないが、だからと言って彼はライフストーリーに基づく写真のスタイルにシフトしたわけではない。そのことは昨日も何度も強調した。既存のものへの移行ではなく、自分の足場を守ろうとする態度への No!だった。震災によってそうせざるを得ない状況に運び去れて、身を投げ出すことで未曾有の事態とむきあおうとしたのだ。
昨年、わたしは『彼らが写真を手にした切実さを』という本を書き、人生に起きた出来事を手がかりに写真を撮っていく写真家の仕事を追った。彼らの写真のありようは生きることの切実さと深く結びついており、その特徴を「日本写真」として括ることで浮き立たせてみようと試みた。
だが、わたしはライフスストーリー派(と仮に呼ばせていただくなら)の写真こそが写真表現の真骨頂だと考えているわけではない。そうでなければ畠山さんと3回もつづけてトークをするはずがない。問題は彼のような理性的な写真とライフストーリー派の写真のあいだに線引きがされていることなのだ。ひとつの考えが壁のなかに押し込められ、行き来できない状態に置かれることに、息苦しさを感じてしまう。
表現活動にはスタイルの模索という局面がある。立ち位置の確立と言い替えてもいいが、それが明確になると世間の認知度も上がる。その一方、スタイルが固まり独り歩きすると作品の生命は失われる。概念やジャンルやイデオロギーなどもおなじで、固定化の方向にむかうと失速の運命は避けられない。それはこの世に不動のものはなく、つねに動き流動するところに生命の本質があるからだ。人はそれを本能的に知っており、芸術表現にその波動を見いだそうとする。????±±_convert_20120122174410
昨日の畠山さんのトークでみんなが熱くなれたのもおなじ原理のように思えてならない。写真展に震災の写真を入れようという決断そのものに生命感を受けとった。自分がこれまで立っていた場所を絶対化せず、そこを離れてみようという覚悟のなかに、未知のものに立ち向かうエネルギーを感じたのだった。わたしも自分の現場においてそのように生きてみたいと思う。(2012.1.22)