ピエール・バルーの語るクロード・ルルーシュ監督との出会い、映画「男と女」ができるまで!

0528チラシ今年1月にサラヴァ東京で、ピエール・バルー氏と堀江敏幸氏をお迎えし、写真家ロベール・ドアノーについて語り合った「ドアノーの写真人生」は大盛況で、これからもこうしたアート関係の企画をつづけていきましょう、とサラヴァ東京の潮田あつこさんと話しました。
つぎはだれにしましょう、ピエールが影響を受けた詩人ジャック・プレヴェール?それともドアノーの最初の写真集を実現させたサンドラール? でも、考えるうちにはたと気付きました。灯台下暗し。時代の証言者がすぐそばにいるではないですか!映像作家としてのピエール・バルーです。
ピエール・バルーは14歳のときに、偶然に見たマルセル・カルネ監督「悪魔が夜来る」の一コマに感動し、一生、映画と音楽にたずさわって生きていこうと決意します。そして演劇と映画の世界に身を置いてさまざまな活動を展開、その途上で出会ったのが、まだ無名のドキュメンタリーのカメラマンだったクロード・ルルーシュです。
ふたりはすぐに意気投合し、映画を撮ろう!ということになり、何作かの後に「男と女」が生まれたのでした。いまや名作のひとつとして不動の位置を得ていますが、もともとは無名の若者が低予算でつくった映画だったのです。それがカンヌ映画祭でグランプリをとったのですから、60年代の映画史上において画期的な出来事でした。
その後、ピエールはメジャー路線ではなく、独自のやり方で撮ることを選び、さまざまな自主制作映画を作っていきます。<ピエールバルーの「私の映画作法」>では、一切映画教育を受けずに、自らの経験とものの見方で独自の映像論を切り開いていったピエール・バルーの映像作品の上映&トークショーを3回シリーズでお送りします。
第1回は、人生の決意、クロード・ルルーシュとの出会い、「男と女」やグルノーブル・オリンピックの記録映画「白い恋人たち」を撮った1960年代までのあゆみをたどります。
ゲストは写真家の港千尋さん。港さんは写真だけでなく映像作品も撮り、また最近では「二十四時間の情事」で岡田英次と共演したエマニュエル・リヴァが撮影し秘蔵していた当時のヒロシマの写真を編集し、「HIROSHIMA 1958」という写真集をつくりました。
共通のスピリットをもつふたりのあいだで、どんな会話が繰り広げられるか楽しみです。詳細は<その他のイベント>欄をご覧ください。(2011.5.5)