ロベール・ドアノーの奥深さに触れられた夜

?? 1月10日にサラヴァ東京でおこなわれた「ドアノーの写真人生」には不思議な高揚感がありました。いまだに体にその波動が残ってます。ドアノーはすでにこの世を去っていますが、現世の私たちに謎かけに降りてきたような、そんな感じです。
 最初のきっかけはピエール・バルー氏の言葉でした。彼は80年代半ば、若いころからその写真に惹かれていたドアノー本人に出会うのですが、そのときに写真を見て想像していたのと実際の人物とのあいだに差はなかったかと質問したところ、写真から感じていたとおりの人だった、ちがっていたのはこの本だ、この本には自分の知らないドアノーがいた、と言ってドアノーのエッセイ集『不完全なレンズで』を指さしたのです。
 『不完全なレンズで』の訳した堀江敏幸さんは「それを聞いてほっとした」と答えられました。彼もまたドアノーの文体に戸惑いを覚えながら翻訳していたからです。自分ひとりではなかった、というわけです。
 『不完全なレンズで』をお読みになった方はわかると思いますが、とてもとっつきにくい文章です。比喩が多く、皮肉たっぷりで、真意がつかみにくい。だれが見ても微笑まずにいられない万人の心に訴えかけるあの写真を撮ったのと同一人物とはとても思えない。もしかしてだれかが手をいれたのではと勘ぐりたくなるほどです。
 出演者のひとり、潮田あつこ・バルーさんは、イベントの直前までパリにいてドアノーの娘さんに会い、その件を確かめてきてくれました。それによると、たしかにドアノーが書いたのにまちがいなく、文章を書こうとするとああいう書き方になる、それが彼なのだ、ということなのです。
 分かりやすい写真を撮るけれど、彼のなかにあるものは決して単純ではなく、それと言葉しようすれば複雑な言い回しにならざるを得なかった。つまり写真活動をするときの自己と、文筆活動にむかうの自己とが乖離していたわけで、ドアノーという写真家の奥行きを垣間見たような気がしてとても惹きつけられました。
 ドアノーは文中で写真家のことを「イメージの盗人」と呼んだりしています。写真家はなにかを作り出すのではなく、あるものを盗んでくる人だというニュアンスがこもっています。この含羞ある自己像がドアノーの核になっていると思います。彼が写真の道に入ったころ、写真家の地位はいまよりずっと低く、家族は彼のことを他人に紹介するのに「写真家」ではなく、その前にたずさわっていた「版画師」という肩書きを好んで使ったそうですが、そんな時代状況も彼の自意識に影響を与えずにおかなかったでしょう。
 おそらくドアノーの自我はずっと揺れ動いていたのです。写真のチープで怪しげな質感と、それに魅せられる自己の肉体とのあいだで……。撮っているときは忘れているけれど、ふと我に返ると自虐的な思いが兆してしまう。そんなセンシティブな状態をずっと引きずっていたのではないでしょうか。
 ドアノーはプレヴェールやサンドラールなどの詩人の仕事に深い敬意を払い、彼らと個人的にも交わり詩人の魂を身近に感じていました。「散文詩なんだと思えばすべてが了解できる」と堀江さんはおっしゃいます。なるほど、そう思って読み返してみると、どのページを開いてもドアノーの心の震えが見える気がします。それはカメラという機械が人に与える不安とも言えます。マグナムの写真家のように大義を掲げて世界に出ていくことはせずに、故郷であるパリ郊外に生涯こだわり、詩人にちかい立ち位置で写真と関わりつづけた人だったのです。
 トークのなかでピエール・バルー氏はプレヴェールとの出会いに触れ、彼からどんなに大きな影響を受けたかを語りましたが、それを受けて堀江さんは、ピエールさんはそのプレヴェールの魂を継承している人だ、とコメントされました。徒党を組まず、ジャンルにも埋没せず、人と人の出会いを演出し、そこから生まれでるものに期待を寄せたプレヴェール、ドアノー、そしてピエール。微力ながらもそれにつづく者になりたいと強く思った一夜でした。(2011.1.12)