大阪展で知った環状線外側のおもしろさ、写真の奥深さ!

R0012161_convert_20101123135309.jpg大阪展の会場だったiTohenはブックショップとカフェの奥に、横長のポケットのようなギャラリーが付いている魅力的な空間。本庄西二丁目にあって、地下鉄でも行けますが、私は梅田駅から歩きました。新御堂筋通りを渡って、環状線を越えて20分くらいで着きます。新御堂筋まではおもしろ味がないけれど、環状線を超えるとがぜんテクスチャーが増えて、再開発の波に飲み込まれている東京ではなかなかお目にかかれない建物が登場するんです。3日間ほどその界隈を歩いて目玉が活気づき、1980年のニューヨークとひとつながりになるような感覚を味わいました。つぎに来るときは環状線外側をぐるりと歩いてみたい、とそんなことを思いつつ帰ってきました。
ny1980_talk06_convert_20101124155728.jpg思わず街歩きの話になってしまいましたが、写真展の感想を思いつくまま書いてみますと、街を歩いて目に留まったものをスナップする今回展示したような写真は、現代写真の文脈ではすでに過去のものになってます。もっとコンセプト重視の意図が明確なものが主流です。でもご覧になった方からは、撮り手の視線、気持ちの弾み、物への距離などがストレートに伝わってくる気持ちのよさを感じたという感想をいただきました。カメラを手にしたばかりで気持ちが新鮮だったし、社会的立場を持たない状態で異国に暮らしていたから世界とのかかわり方が純粋だったんでしょうね。そうした特別な時間のなかから生まれた写真だったのかもしれません。
でも、どんな場所に暮らし、どういう立場にあっても、外界とのそうしたかかわりを手放したくないし、それを可能にしてくれるところに、写真のもっとも大きな可能性があると私は思っているんです。「現代写真」「現代美術」「現代音楽」「現代詩」など、「現代」と名のつく表現に文脈を意識しすぎるゆえの苦しさを覚えることがよくあります。トークのなかで小崎哲哉さんが現代美術が「美術」でなく「知術」になっていると指摘をなるほどと思ったのもそれゆえです。もし「知術」ならば、言葉で一言いえば終わるような安易な啓蒙ではなく、人々の心を本気でゆさぶる意欲と自負にあふれたものであって欲しい。来年6月、また別の場所で写真展をする予定ですが、写真の力と奥深さをいかに引き出せるか、早くもそれにむかって頭と心が動きはじめました。30年前の熾火が再び燃えはじめたようです……。(2010.11.24)