「写真家」の自意識はなかったマン・レイ

img_intro.jpg









 
新国立美術館で開催中のマン・レイ展を見に行く。入口に入場を待つ観客がとぐろを巻いている!と思ったら同時開催中のオルセー展のほうでほっとした。すごくいろんなことをした人だったのがわかる。写真は記録のために撮りはじめそうで、「写真家」の自意識はなかった。途中、雑誌のポートレイトで食べていた時期もあるが、本人は不本意で、あくまで「わたしは芸術家」というスタンス。でも、作品指向はない。着想やアイデアを抱いてそれを実行すること、作りつづけるエネルギーを維持することが芸術の奥義と考えていたようだ。
 作品には執着しないが、作品の記録は克明にとっていたところがおもしろい。写真を撮りカード式にファイルしていた。晩年、ブレイクすると、その記録を参考にエッチングでコピーして売ったりしている。何かを極めるのではなく、アイデアを追っていく。こちょこちょと作っては悦に入る。 自分の身のまわりにいそうな感じの人のようにも思えるが、生涯を通じてしつこくモノをつくり続ける人は少ないのもたしかだ。いちばん興味深かったのはパリの彼のアトリエの映像と、妻ジュリエットの回想。倉庫みたいな空間を改装して住んでいた。展示作品にすごいと思うものはなかったけど、こういう人だったとわかったのが収穫。だいたいシュールリアリストの作品は私にとってみんなそんな印象で、マルセル・デュシャンも作品そのものをいいと思うことはあまりなく、こういう人がいたということが感慨深い。作品保護のため会場がすごく冷えており、見終わって外に出てしばし太陽の光で身を解凍し、人心地ついた。(2010.8.1)

追記:いまアップした画像を見て思ったのだが、この唇の作品も画像で見たほうが迫力が感じられる。そういうことだったのか!と納得。複製されるとおもしろみが際立つ。そういう意味で写真=複製時代の人だ。