大竹昭子のカタリココ

朗読イベント〈カタリココ〉&トークイベントのお知らせと「日々雑記」

おしらせ&雑記

『出来事と写真』のトークショー、予約はじまりました!

本書影_convert_20160323144733すぐに結論が求められる時代ですが、この本にはひとつも結論がありません! 大震災以降にふたりが疑問に思ってきたことをちゃぶ台をひっくり返すごとくぶちまけた、そんな内容です。ジャンルの壁を踏み越えて考えを深め、それを交換しあうことが、いまほど求められている時代はない、と思うのです。
「ふつう本が出るとやれやれとほっとするけど、この本についてはそういう感慨が湧かない」と畠山さんは言います。私も同感です。途中、混迷したので本が出たことにはほっとしていますが、内容については、これから考えていきたいと思うことを外在化してテーブルに並べた、という気持ちです。ですから、4月18日のトークショーも通常の「刊行記念イベント」ではなく、本が出てから現在までに互いに考えたことを語りあう場になるでしょう。
半年間メキシコに滞在し、むこうのアートシーンを見てきた畠山さんは、いまメキシコで主流になっている「社会とアート」というテーマに関心を寄せています。これまでそういうアプローチで芸術表現をとらえてこなかった彼が新たに見いだした課題に、どんな報告が聞けるか楽しみです。

当日は会場から質問を受けつつ進めたいと思います。本を読んだけど、この部分がわからなかった、この点について少し突っ込んで訊きたい、この意見には反論したい、などなどいろいろと疑問点をぶつけてください。まだ読んでないけど、読んでみたいという人には、本に入るためのよいステップボードになるでしょう。以前のサラヴァ東京でのトークは6時間になりましたが、今回は夜のプログラムが入っているので3時には終了予定です。短時間ですが、テンションを上げて写真やアートについてさまざま問いかけをしたいと思います。参加ご希望の方は早めに予約をどうぞ!(2016.3.23)

日時:2016年4月16日(土)13時開演、15時終了
出演:畠山直哉×大竹昭子
チケット:1500円
会場:渋谷サラヴァ東京
予約:http://l-amusee.com/saravah/schedule/log/20160416.php

モランディは写真を意識していたにちがいない。

モランディ展を見た。瓶や水差しや漏斗などが繰り返し描かれるが、彼がそれらのモノを描写しようとしていないのは明らかだ。質感がまったく描かれてない。だから、瀬戸物なのか、金属なのかわからないし、サイズについて同様で、日常で使っているカップや器からの連想で手でつかめるものを思い描くだけで、大きさを示す目安もどこにも描かれていない。背景は無地でなんの情報もないのだ。

つまり、地と図の関係がほかの絵画とまったく異なっている。

絵を描いたことがある人ならわかると思うが、モノを描くと背景無地のときはモノが浮き立つが(浮いて着地しないという別の問題が生じるが)、背景に色を塗ったとたんに筆の線や色によって図がひっこんでしまうことが起きる。それを回避するにはモノの描写を細かくすればいい。すると図と地のあいだに主従関係が生まれて、モノを認識しやすくなる。でもモランディはそうしない。図も地も等価に扱い、図と地がギリギリのところでせめぎあい、震えあっているさまを描きだす。つまり、モノは確固とした存在としてそこにあるわけではなく、目に見られることによって出現する、そう彼の絵は主張する。

よく考えたらこれは写真の言い分ではないか。目前に「現象している」ものを、消えないうちに捉えるのを得意とする装置なのだから。映画や写真の登場によって絵画が消えていくのをモランディは悲しんだというが、彼のモノをとらえる態度は写真が解明した認識世界に近かった。そのことを絵画でおこなおうとしたのが、彼の挑戦だった。

写真家のルイジ・ギッリはモランディのアトリエを撮影しており、絵に登場するモノたちを同じような構図で写真に撮っているが、それらは皮肉なことに、まったくモノにしか見えない。意図してのことだろうが、モランディの絵から受けるとる図と地の奇妙な関係性は消えてしまっている。これは、写真には動かない静物を現象しているものとして捉えるのがむずかしいことによる。レンズの描写力により物質感が強調されてしまうし、むしろそこに力が発揮されるのが写真なのだ(土門拳の仏像を思い出して欲しい!)。

モノを相手にすればこそ絵画で現象が表現できる、モランディはそう考えたはずだ。だからあのように繰り返し同じモノたちを配置し、視線の高さや空間の大きさや筆のタッチや塗りの厚さなどをかえながら描いた。映像の時代に絵画でなにをすべきかを深く考えていた人なのである。
ちなみに、彼は会う人は厳選していたが、カルチェ=ブレッソンとは仲が良かったそうだ。
東京ステーションギャラリーで4月10日まで(2016.3.21.)

この一年に朝日新聞で書評した本24冊!

昨年4月に書評委員になってから早くも一年が過ぎました。本日の朝日新聞に掲載されたものが本年度最後の書評で、4月からは新しい年度にはいります。この一年、どんな本を取り上げたかを振り返ってみました。全部で24本で月2本のペース。ジャンルは海外小説がいちばん多くて11本。これまで翻訳ものがあまり取り上げられてこなかったようなので意識的にそうしましたが、つぎに多いには一応私の守備範囲ということで写真が5本。あとは国内小説2本、エッセイ2本、その他4本という順番です。その他で目を引いたのは精神医学関係の『オープンダイアローグとは何か』でしょうか、学生時代、精神病院で実習した記憶がよみがえりました。
4月からはもう少し国内小説、なかでもなかなか読者を得にくい純文系を応援しましょう! 
書評は日曜掲載分がつぎの水曜日に公開され、すべてブック・アサヒ・コムで読むことができます。(2016.3.20)

1) 4月5日(海外小説)『元気で大きいアメリカの赤ちゃん』ジュディ・バドニッツ
2) 4月12日(国内小説)『くりかえすけど』 田中小実昌
3)5月3日(海外小説)『地平線』パトリック・モディアノ
4) 5月17日(海外小説)『ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン』ダーグ・ソールスター
5) 5月24日(写真)『写真のボーダーランドーX線・心霊写真・念写』浜野志保
6) 5月31日(海外小説『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ
7) 6月14日(海外小説)『イザベルにーある曼荼羅』アントニオ・タブッキ
8) 7月5日(写真)『陸前高田2011−2014』 畠山直哉
9) 8月2日(海外小説)『夜が来ると』フィオナ・マクファーレン
10) 8月9日(エッセイ)『秋山祐徳太子の母』秋山祐徳太子
11) 8月30日(精神医学) 『オープンダイアローグとは何か』斉藤環
12) 9月13日(写真)『私の土地から大地へ』セバスチャン・サルガド&イザベル・フランク
13) 9月20日(海外小説)『日々の光』ジェイ・ルービン
14) 9月27日(写真)『写真幻想』ピエール・マッコルラン
15) 10月25日(海外小説)『オルフェ』リチャード・パワーズ
16) 11月15日(美術)『アートは資本主義の行方を予言する』山本豊津
17) 11月29日(食)『アメリカは食べる』東理夫
18) 12月13日(海外小説)『優しい鬼』レアード・ハント
19) 1月10日(写真)『ゲルダーキャパが愛した女性写真家の生涯』イルメ・シャーバー
20) 1月24日(建築)『集合住宅30講』植田実
21) 2月14日(海外小説)『未成年』イアン・マキューアン
22) 2月21日(海外小説)『きみを夢みて』スティーヴ・エリクソン
23) 3月13日(国内小説)『死んでいない者』滝口悠生
24) 3月20日(エッセイ)『かなわない』植村一子

「間取りと妄想」第8回 海の見えるセカンドハウス、でも二階の部屋からは……。

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セカンドハウスを欲しいとは思わないけど(管理が面倒!)、もし持つならどういうのがいいかと考えるのは好きです。できるだけシンプルなのが好みでこうなりました。一階はデッキとシャワー&トイレのみで、高台にあって、デッキからは海が眺め渡せます。でも二階は上がるとどうなるか、というのが話のポイントです。ヒントはタイトルの「四角い窓はない」にあります。
あき地

『出来事と写真』(赤々舎)が完成、4月16日にはさらなるトークショーも!

R0024351_convert_20160303155315.jpg東日本大震災のあった2011年に、東京都写真美術館で開催された畠山直哉さんの「ナチュラルストーリーズ」展をきっかけにはじまった彼との5年越しの対話が、1冊にまとまりました。長い道のりでしたが、とても貴重な時間でした。写真への考えを、これまで以上に深めることができ、しかるべき相手と話すとこれほど思考の密度が上がるものか!と感嘆しています。
ここに書かれた畠山さんの言葉は、語ったあとに何度も手が入れられています。思考のエキス!と言っていいでしょう。これまで、「出来事」や「記憶」をテーマに撮ってこなかった写真家が、想像もしなかった大きな出来事を体験し、写真の本質を探っていこうとする姿に、読者は勇気づけられるでしょう。自分のいまに向き合い、それを踏み越えて進んでいくことこそが、芸術の本質なのです!
対話というのは本を出したから終わるものではありません。4月16日には、4年前に6時間ものトークをおこなったサラヴァ東京の会場にて、再び畠山さんと語ります。昨年秋から半年間、文化庁のプログラムでメキシコに滞在した体験もいまの彼に影響しているはずで、そうした時間を経て彼がいまこのとき、なにを感じ、考え、写真にむかっているかを伺ってみようと思います。
前のトークに参加いただいた方はもちろん、『出来事と写真』を読んで興味をもった方、あるいはこれから読んで考えてみたいという方、世界と写真と自分の関係に関心をもっているすべての方々に開かれたトークです。4年前と同じサラヴァ東京の空間で、切迫した気持ちでみなさんと考え合ったあの濃い時間を、もう一度よみがえらせ、明日にむかう力にしましょう!→サラヴァ東京(2016.3.3)

3月18日、須賀敦子さんの作品について話すことに……。

3月18日にヒルサイド読書会「人は本を読んで旅にでる」第6回で須賀敦子さんについて話します。これまで本でいろいろと書いてきたのでもういいと思ってトークはお断りしてきたけど、久しぶり考えてみる気になったのです。彼女が他界した年齢に私自身が近づいて作品の見え方も変わってきました。偶然にもトーク当日は須賀さんの命日の2日前です。→ ヒルサイド読書会

3月の迷走写真館はこの写真です!

ea8c9605-s-1.jpg早いもので、この連載ももう38回を迎えました。毎度書くことなどまったくないような焦りを覚えつつ写真に向かうのですが、まっ白な紙の上に線を一本引くとなにかが生まれくるように、見ているものについて試しに一行書いてみると、そこから考えがほぐれて、思わぬ地点へとたどりつくのです。この写真についてもそうでした。透明カプセルのなかに永遠に座っている親子……。ときの忘れもの (2016.3.2)