大竹昭子のカタリココ

朗読イベント〈カタリココ〉&トークイベントのお知らせと「日々雑記」

おしらせ&雑記

あんまりみんなに訊かれるので!

emi+san_convert_20131126152347.jpg最近、わたしが身につけているアクセサリーにコメントを受けることが多い。「わあ、すてき! だれが作ったの?」「それ、どこで買えるの?」こういう会話を何度したことか! 昨年春だったか『クロワッサン』で「日本の手作り品」というようなコラムでエミさんのアクセサリーを取り上げたときも「あの記事に出てたアクセサリーを置いているお店、あるんですか」といろいろな人に聞かれた。この写真には載ってないが、雑誌の記事で紹介した一見、木の枝のように見えるネックレスをご記憶の方もあるだろう。あれ、ラバーコード製です。ビュンと引っ張るとみんな目を丸くしておもしろい。

その岩切エミさんのこと、あまりに何度も聞かれるのでここに告知しておきます。
毎月30日、彼女がオフィスをもっているサラヴァ東京のあるクロスロードビルの6階で、そこをシェアしているほかの人々と一日ショップを開いているそうです。今月の予定は以下のとおり。

日時:11月30日 (土) 12:00〜18:00
場所:渋谷区松濤1-29-1 クロスロードビル6F SOHO
今後のことは彼女のfacebookをご参照ください!

金属を使わず、すべてを手作りした彼女のアクセサリーは、まるで護符のようにわたしを守ってくれる。じゃらじゃらしたネックレス類はみんな姪たちに上げてしまった。いまはエミさんのものしかつけない。(2013.11.26)

今月の書評空間はこの本です!

EYE.jpg月一を目指しているのに10月は挫折、でも今月はボリュームのある一冊を取り上げました。『EYEMAZING』という厚さ5センチ、重さ4キロの大部な書物に、写真を使った400点以上のイメージが収められています。アメージング・スーザンというたったひとりの女性によって作られている同名の雑誌のベスト作品を編集した驚きの一冊。→書評空間(2013.11.18)

今月号の『新潮』に短編「宙吊り」が載りました。

新潮昨年のいまごろはパリフォトに行っていました。噂にきくフォトフェアにでむき、ロンドンに足を伸ばしてテートモダンで開催中のウィリアム・クライン&森山大道を観てきました。寒かったけど、なかなか印象的な旅だったのです。
 今の『新潮』に掲載されている「宙吊り」という短編小説は、この旅にインスピレーションを得て書いたもの。現実が少しずつズレて虚構との境が曖昧になっていく、いつものテーマを移動に絡めて展開してみました。
 前号の『新潮』では「主人公は視覚である」と題して、藤野可織さんの『爪と目』について書きましたが、こちらはおなじ視覚というテーマをフィクションの形式で扱ったわけで、書いたのは『爪と目』の文章よりもずっと前ですが、互いに響き合うような関係になったのがおもしろいです。世界へ見方の本質的な部分は文学よりも写真から得ているという実感が私にはありますが、もしかしたら藤野さんのなかにも同じような感覚があるのかもしれません。(2013.11.15)

いまの本屋ブームはホンモノなのか? 今年最後のカタリココはこの問題に迫ります!

さまざまな雑誌で書店特集が組まれたり、書店の開業講座が各地で開講されたり、本屋についての本がたくさん出ているこの頃、売れないと言われながらも本や書店への関心は高まっているように思えます。

本好きとしては心強く思いつつも、同時に、一書き手として出版界の状況を眺めたとき、悪貨は良貨を駆逐するような傾向を感じずにはいられません。ふたつの流れが同時並行的にあるのがなんとも不思議な印象なのです。もしかして書店への関心もいっときの流行現象なのではないか、と疑ったりしますが、本当のところはどうなのか……。
開催当初から本のある空間にこだわってきたカタリココの今年最後の企画は、この時代状況について考えます。


ゲストは南陀楼綾繁さんと江口宏志さん。南陀楼さんの発案ではじまった「一箱古本市」は、いまや地域起こしのアイデアのひとつとして全国に広がっています。本でこんなことが可能だとは思いもしませんでした。
一方、江口さんはアート関係の版元や出版人が世界中から集まる「THE TOKYO ART BOOK FAIR」の企画者です。このフェア、私も今年見に行きましたが、その盛況ぶりに驚き、本への関心の高さは世界共通の出来事なのだな思いました。

日頃、いろいろな場所でお顔をあわせているお二人ですが、この日はそれぞれの現状分析、書店観、本の思想などを忌憚なくぶつけ合っていただきます。本に興味があるなら、いつか書店を開きたいなと思っているなら、迎合なしの本気のバトルの場にぜひ足を運んでください!

予約がすでにはじまっています。お急ぎ森岡書店にお申し込みください。

ターナーの素晴らしさ、革新さ。

th.jpegターナー展に行った。混雑を避けて夜8時まで開館していた昨夕に行ったのが正解だった。これまでターナーの絵を真剣に考えたことがなくて、あの、風景画家ね、というくらいの感じだったが、とんでもない。非常におもしろい人だ。

死後に公開された彼の絵が近代絵画とみまごうばかりの抽象性を帯びていたことはよく知られる。果たしてこれは完成品か、いやそんなはずはない、と議論がかまびすしいが、そういう話はどうでもいい。生涯をかけて突き詰めた彼の絵画への探求の結果を、いまの目で見ると「モダニズムのあけぼの」に見える、そういうことなのではないか。

抽象化とはふつう具象的な対象を離れて色や形などの要素のみで絵画表現を探求することをいう。まず形があり、そこから抽象的世界へと離陸するという図式である。だがターナーの絵から感じとれるものは逆だ。まずさきに形のない世界がある。それを凝視しつづけるうちに形が見えてくる。ターナーは形をそのようなものとしてとらえていたのではないか。それは彼が自然と深く親しんでいたことと関係していたのではないか。

いまの私たちは抽象vs具象というように分けて考えすぎる。具象から抽象へと発展したという物の見方に毒されているのだ。だがターナーが見ていたのはそうした区分が明確ではない世界の姿だった。それは虚心坦懐に自然の風景に接するとき、わたしたちも感覚していることなのかもしれない。(2013.11.4)


『断腸亭日乗』第6巻に入りました!

7月からつづけてきた『断腸亭日乗』を読む連載、最近は週一の掲載になってきましたが、本日から第6巻に突入です。昭和20年3月、空襲を受けて偏奇館が炎上。荷風、着の身着のままで脱出し、身を寄せていた知人宅も焼けてついに岡山に行きます。
偏奇館が焼けて若いころから買い溜めてきた洋書は灰となるも、29冊にのぼる『断腸亭日乗』の日記は無事でした。いつもボストンに入れて枕元において寝たからです。文字どおり命の次に大事な日記帳はもちろん疎開先にも携帯されました。facebook(2013.11.3)