大竹昭子のカタリココ

朗読イベント〈カタリココ〉&トークイベントのお知らせと「日々雑記」

おしらせ&雑記

9月の書評空間はロベルト・ドアノーの写真集!

4309274412.jpg思い起こすことにより記憶を新たなものにする、そのためのよすがが「記念」だとすれば、ロベルト・ドアノーの写真のありようはまさにそうである。「記録」でも「芸術」でもなく、その本質的な意味において「記念」なのだ。第二次大戦中に疎開していた村でお世話になった家の娘が嫁ぐことになり、その結婚式の一部始終を撮影。写真の語り部としての彼の魅力がのびのびと発揮された『ドアノーからの贈りもの 田舎の結婚式』。→書評空間

『断腸亭日乗』第5巻に入りました!

第5巻は昭和15年から19年までと、まさに戦中の日記です。街の様子が変わっていくさまや、物がなくなっていく状況を荷風ならではの視点で詳細に記されています。米屋炭屋などかつては手堅い商売と思われていたものが、物資の不足で経営ができなくなり、反対に雑誌の出版や芝居の興行などソフトを売る企業は順調、と「石が浮んで木の葉が沈むが如し」奇妙な事態。そういうときにも(そういうときだからこそ!)私娼は商売繁盛の様子。facebook

西荻・音羽館の本が出ました!

音羽館古本屋への興味が広がったのは、古書店を会場にカタリココをはじめたことが大きいです。なじみの店をつくって店主と気軽にお話をするというような大人のふるまいが苦手な私は、それまではこそこそと出入りするだけでしたが、カタリココをきっかけにもう一歩踏み込んだつきあいが生まれました。

中央線沿線の高円寺から西荻窪のあいだには、行くのを楽しみにしている古書店がいくつかありますが、そのひとつが西荻の音羽館です。いけばシャイな私(!)でも思わず「穴蔵」の奥にいらっしゃる店主の広瀬さんに声をかけます。広瀬さんとは西荻ブックマークに呼んでいただいて以来のおつきあいで、ときには、うちの本から音羽館用の本をいくつかセレクトして持っていき、買っていただいたお金で近所でごはんを食べたり、「雨と休日」でCDを買ってかえったりします。とても心が満たされるひととき……。幼稚園の頃に西荻に住んでいたことがある私にとって一種の故郷なのもしれません。

このたび、広瀬洋一さんが『西荻窪の古本屋さん 音羽館の日々と仕事』(本の雑誌社)を出されました。広瀬さんが町田の高原書店で「修行」なさったことは聞いてましたが、古本屋稼業について、棚の作り方について、なによりも古本屋営業にいきついた広瀬さん自身の半生について教えてくれるとても良い本でした! 気軽な作りですが一本芯がとおっていてとても気持ちがよいです。

なかに中学時代の恩師の坂田博見先生という方がでてきます。この先生、音楽と映画と文学と写真が好きという、「博見」というお名前どおりの超ジャンル主義者なんですが、望遠とズームは使わないというのを読んで、たちまちこの先生に共感してしまいました! このふたつを使わないのは理屈ではなく、身体的に合わないんだと思います。私もそうなのでよくわかります。その感覚は先生の生き方にもあらわれ出ていて、退職後になんのゆかりもない京都に引っ越し、クラシック喫茶を開いたそうです。京都三条にある「風信子(ヒヤシンス)」。すぐにでも行ってみたくなりました!

本書には、なるほどとうなずくところがたくさんありましたが、ひとつ挙げるとすれば、この先生が合宿をして生徒を「音楽漬け」にしたことが、広瀬さんのその後に及ぼした影響です。先生は子どもたちに聴けとはいわずに、ただ音楽を流しつづけます。この物量の体験が、高原書店で山のような本と格闘するときに役立つんです。量を相手にしてびくともしない「体力」とは、脳をとおさずに直感力で物を判断できる力であり、この基礎体力があるゆえに音羽館の棚をあれほど充実したものにできるのでしょう。好きなものならべるだけでは空気が固まってしまうわけで、流動性こそが場の魅力であり力なのだと、改めて思いました。

今年の最後のカタリココは12月6日。森岡書店の企画により、「イマドキの本屋事情」について南陀楼綾茂さんと江口宏志さんにバトルをしていただきます! そこでのヒントになるような話題も本書からたくさんピックアップでき、当日が楽しみになってきました。(2013.9.22)

松家仁之さんとのカタリココ!

松家3
















私は小説を読むのにヴィジュアル化して読むんですが、すべての人がそうなわけではない、と知ったときはびっくりしました。それ以来、大きな関心事となり、松家さんにはまずそれをお訊きしたところ、ぼくもそうです、とおっしゃられ、やっぱり!と思いました。『火山のふもと』のなかの空間描写を読むと、そうとしか思えなかったのです。
建築家になりたかったけど、理数系がだめで断念、というところも共通しており、私も建築学科が理学部に属していると知ったときは驚き落胆したものでした。そんな次第で、期せずして建築に挫折した「空間派」のトークとなったのです。

松家さんは方向音痴なのに地図を描くのが好きで、編集者時代にはお遣いの方に地図を描くのに浮き浮きしたと言います。このお話は、空間を言葉にすることと、空間を図面にすることの差を考えるのに大きなヒントとなり、あとの話がここからスムーズに展開しました。

今回のために、私は恥かしながら「夏の家」を図面にしてみました(下の写真がそれです)。ところが、図面上の辻褄をあわせようとすると不明な点がでてくるし、何よりもその作業をするうちに頭のなかにあった「夏の家」のイメージがガラガラと崩れていくのです。こういうイメージだったのに、図面にすると合わない、あれ? という感じ。松家さん図面_convert_20130914100420
これは、「方向音痴なのに相手にわかりやすい地図を描くのは好き」というさきほどの話と似ているなと思いました。本当の距離はあっちの道のほうが長いのに、歩いているときの感覚でついこの道を長く描いてしまう、ということはよくありますし、かえって計測的に合ってないほうが通じやすかったりします。言葉とは、このように作者の意識を通過して表出するものであり、そういう言葉ほど相手にも強く深く伝わるのです。

巷では 「先生」や「内田さん」について、あの建築家がモデルではないか、などと憶測が飛び交っているようですが、ここにも興味深い問題が潜んでいます。モデルがそのまま小説上の人物ではないことは、言うまでもありませんが、実在の人物からインスピレーションを得た場合、いかにフィクション化していくかは結構、難題です。実像に意識が縛られてしまうのです。ですから、「先生」には自分のこれまでの人生で先生と仰いできた人のことを、「内田」さんには先輩として接してきた人のことを投入した、という言葉にはなるほどとうなずかされました。
松家さん1_convert_20130914100622つまり、フィクションとはいっても、作家の肉体を通過してきたことしか出ないということなのです。これにはもちろん、実際に知っている人だけではなく、映画や小説を通じて出会った人も含まれます。そのようなさまざまな影響にさらされたひとりの実存の意識と無意識をくぐりぬけて出てきた言葉。小説とは、そうした言葉がつながってできた世界の姿である、改めてそう確認した夜でした。(2013.9.14)

松家仁之さんをお迎えしてのカタリココは12日、今週木曜日です!

9784103328117.jpgカタリココの準備をするのに、松家さんの『火山のふもとで』を再読、改めて言葉で空間や建築が描かれているおもしろさを感じました。空間が大好き、人の家を見るのが大好き、建築が大好き、という私にとってたまらない魅力に満ちた作品。それで今回では「言葉で空間を想像すること」について話したいなと思ってます。もしかしたら建物のスケッチや間取り図なども作られたのではないかと思ってますが、もしそうならぜひ拝見したいものですね!
 また松家さんは優秀な編集者でもありました。尊敬する編集者としては、小野二郎さんと塙嘉彦さんを挙げています。古書ほうろうの店頭には、それに関連して『大きな顔 小野二郎の人と仕事』(晶文社)と、塙嘉彦が編集長をしていた時代の「海」のバックナンバー、また松家さんが影響を受けたという「ハッピーエンド通信」などが並ぶそうです。
 『火山のふもとで』は建築事務所が舞台なので建築の話が多いですが、それだけではなく人の営みや自然との関わり、さらには人間社会の歴史など、物語の細部がより大きなものに包み込まれていく全体小説です。ノンフィクションを読んでいるようだと言った人がいましたが、その感想をなるほどと思うほど、これまで生きてきた時間がすべて投入されているのを感じます。このすばらしきデビュー作についての徹底して語りあう、のちの世にも語り継がれるような伝説的なトークにしたいと思います!→古書ほうろう

『断腸亭日乗』4巻目に突入、全7巻の折り返し地点を通過!

今日は昭和11年の前半です。となれば勘のいい読者はピンとくるでしょう。そう、2月の雪の降る日に青年将校の反乱があった年です。荷風は2.26事件そのものには何もコメントしてません。ただ、街に繰り出す人が増えたことだけを書いてます。新聞ラジオの報道が中止されてマスコミ情報がないのに、みんな口伝えに事件のことを知り、興味津々で街に出ていったわけです。「縁日のようだ」という荷風。歴史の教科書で学ぶ2.26事件とは異なる一面がうかがえて興味深いです。『断腸亭日乗』は、読む人によってどこに反応するかが大きく変わりますが、わたしにとっては街の変化がおもしろく、主にそのあたりをピックアップしてます。それともうひとつは女性関係ですね。これは抱腹絶倒ものです。荷風は当時の雑誌で金銭の苦労をしらないお坊ちゃんのように揶揄されたようですが、それが事実だったとしても、隠さないし、かっこつけない。自分に正直なところが憎めないです。→facebook(2013.9.8)

9月の迷走写真館はこの写真です!

ならはし_convert_20130901084947この手前のグネッとした部分はいったい何なのでしょう? 
わたしは解答を知っていますが、知らないふりをして、このグネッとした部分について考察してみました。
「わからない」ことを前提に見てみると、思いがけない方向に思索が広がっていくものです。→ときの忘れもの
(2013.9.1)