大竹昭子のカタリココ

朗読イベント〈カタリココ〉&トークイベントのお知らせと「日々雑記」

おしらせ&雑記

11月に東京と大阪で写真展<NY1980 >を開催します。

写真展<NY1980 >

1980年冬、ニューヨークに住んでいた私は、突然写真を撮りたくなって34丁目のカメラショップに走り、一眼レフを買った。それから帰国までの約1年間、何かに憑かれたように街をスナップして歩いた。帰国後、写真について書くようになったのも、あの時期に写真をたくさん撮ったことが大きい。写真に触れながら考えていたことが言葉となってあふれ出したのだと思う。今回展示するモノクロ写真には、現在のようなきれいな街並みになる以前のイーストビレッジ界隈が写っている。テクスチャー感がいっぱいで何を撮ってもおもしろかったのを思い出す。写真との関わりの原点を探る写真展になりそうだ。

■東京  終了しました
日時:2010年11月1日(月)~13日(土)13時~20時(日・休廊)
会場:森岡書店 
〒103-0025東京都中央区日本橋茅場町2-17-13第2井上ビル305号
Tel: 03-3249-3456
http://www.moriokashoten.com/

<ギャラリートーク>
11月1日(土)19時~
大竹昭子のソロ
料金:500円
要予約(定員25名)

朗読イベント<カタラレココ>
11月6日(土)19時~
堀江敏幸(作家)×大竹昭子
料金:1500円
要予約(定員40名)


■大阪  終了しました
日時:2010年11月17日(水)~21日(日)12時~19時(月・火休廊)
会場:Coffee Books Gallery _iTohen
〒531-0073大阪市北区本庄西2-14-18 富士ビル1F
Tel:06.6292.2811
http://www.skky.info/

<ギャラリートーク>
11月20日(土)16時~
小崎哲哉(REALTOKYO発行人兼編集長)×大竹昭子    
料金:1000円
要予約(定員30名)

大阪展で知った環状線外側のおもしろさ、写真の奥深さ!

R0012161_convert_20101123135309.jpg大阪展の会場だったiTohenはブックショップとカフェの奥に、横長のポケットのようなギャラリーが付いている魅力的な空間。本庄西二丁目にあって、地下鉄でも行けますが、私は梅田駅から歩きました。新御堂筋通りを渡って、環状線を越えて20分くらいで着きます。新御堂筋まではおもしろ味がないけれど、環状線を超えるとがぜんテクスチャーが増えて、再開発の波に飲み込まれている東京ではなかなかお目にかかれない建物が登場するんです。3日間ほどその界隈を歩いて目玉が活気づき、1980年のニューヨークとひとつながりになるような感覚を味わいました。つぎに来るときは環状線外側をぐるりと歩いてみたい、とそんなことを思いつつ帰ってきました。
ny1980_talk06_convert_20101124155728.jpg思わず街歩きの話になってしまいましたが、写真展の感想を思いつくまま書いてみますと、街を歩いて目に留まったものをスナップする今回展示したような写真は、現代写真の文脈ではすでに過去のものになってます。もっとコンセプト重視の意図が明確なものが主流です。でもご覧になった方からは、撮り手の視線、気持ちの弾み、物への距離などがストレートに伝わってくる気持ちのよさを感じたという感想をいただきました。カメラを手にしたばかりで気持ちが新鮮だったし、社会的立場を持たない状態で異国に暮らしていたから世界とのかかわり方が純粋だったんでしょうね。そうした特別な時間のなかから生まれた写真だったのかもしれません。
でも、どんな場所に暮らし、どういう立場にあっても、外界とのそうしたかかわりを手放したくないし、それを可能にしてくれるところに、写真のもっとも大きな可能性があると私は思っているんです。「現代写真」「現代美術」「現代音楽」「現代詩」など、「現代」と名のつく表現に文脈を意識しすぎるゆえの苦しさを覚えることがよくあります。トークのなかで小崎哲哉さんが現代美術が「美術」でなく「知術」になっていると指摘をなるほどと思ったのもそれゆえです。もし「知術」ならば、言葉で一言いえば終わるような安易な啓蒙ではなく、人々の心を本気でゆさぶる意欲と自負にあふれたものであって欲しい。来年6月、また別の場所で写真展をする予定ですが、写真の力と奥深さをいかに引き出せるか、早くもそれにむかって頭と心が動きはじめました。30年前の熾火が再び燃えはじめたようです……。(2010.11.24)

写真展「NY1980」本日から大阪iTohenにてオープン!

??先週末、盛況のうちに森岡書店での展示が終了、写真はそのまま大阪に輸送されて本日よりiTohenのギャラリーでの写真展がはじまりました。東京展の最終日は、飯沢耕太郎さんの提案により1980年の撮影当初に作ったプリントを並べて自由に手にとって見られるようにしたところ、これが大好評。大阪展でもそれを引き継いでます。手袋なしで指紋をべたべたつけながらご覧下さい!
当時、街歩きに凝って買い集めていたニューヨークの古い写真が入った洋書も一部も並べてあります。こちらも自由に見てください。
住んでいたのはイーストヴィレッジで、ヨーロッパからの移民のために1900年代のはじめに建てられたアパートが林立していましたが、浴室がなくて流しの横にバスタブがむき出しで置いてあるなど、とてもおもしろい間取りでした。並べてある写真集のなかに当時の移民の生活ぶりを写したジェイコブ・リスの「How the other half lived」があります。この写真集を見ながら、いま自分が住んでいる空間はこんなふうに使われていたのか!と感激しつつ見入ったものでした。会場に展示した写真のなかには、その流しを写したものが1点あります。ぜひ探してみてください。
20日にはrealtokyoの発行人であり、私の最初の著書の編集者でもある小崎哲哉さんとのトークショーがあります。小崎さんは80年代にNYを訪ねてます。あの汚くて危険なNYで彼が何を感じとったのか、私の記憶とすり合わせながら都市と写真のかかわりを探ってみたいと思います。またこれまでの私の著作コーナーも作ってくださったので、絶版になっている本などをご覧いただけます。関西方面の方々のお越しをお待ちしています!→iTohen(2010.11.17)

堀江敏幸さんの小説の登場人物になったかのような……。

R0012085_convert_20101108114820.jpg堀江敏幸さんが大竹昭子のことを聞きだす番外編<カタラレココ>が11月6日におこなわれました。いやあ、驚きました。ニューヨーク以前にどうしていたか、という話題からさりげなく入っていったのですが、ただ事実を聞きだすだけでなく、要所ごとに入る堀江さんのコメントが効いていて、また時間軸に沿っていくようでありながら、ふっと最近の著作に話を振って内容を膨らませてさまざまなモチーフをつなげていきます。「私」という登場人物を使って堀江さんが小説を書いている現場に立ちあっているような感覚。彼の創作の極意を生身を介して体験したかのようでした!
朗読コーナーでは堀江さんは『ゼラニウム』を、私は『図鑑少年』を、どちらも出来たての中公文庫ですが、互いに読んでほしい箇所をリクエストしあって朗読しました。私が希望したのは従来の堀江さんの作品とはややちがう雰囲気の「梟の館」の最後の部分を、堀江さんからは東京のお台場の埋め立て地を舞台にした「人工島」の最後をリクエストされて読んだのですが、私の朗読のあとに堀江さんから、90年代には埋立て地が舞台になった小説がいくつか出たけど、大竹さんのものはそれとはちょっと雰囲気がちがう、ふだんあまりこういう言葉は使わないけど、希望が感じられる、というコメントがありました。それを聞いて私はとっさに「もし希望があるとすれば、それは写真から教えられたことだと思う」と答えていました。
今朝、朝風呂に入りながらそのやりとりをつらつらと考えていました。
人間には、頭で考えて物や概念を産み出し、産み出したものをまた批評・批判するという理念的な面があります。でもその一方で、家を出たとたんにおもしろい出来事に遭遇して興奮してしまったり、あるいはランチにおいしい店をみつけてにんまりするようなきわめて感覚的な部分とがあります。前者は歴史意識につながり、もう一方は人間の生き物としての生命感に連結するように思いますが、その「生き物」の部分を強化してくれるのが私にとっての写真なのです。だから写真との関わりは止められない。
R0012091_convert_20101108130418.jpg出来ることなら文章作品の中でもそうした人間の両面を描き込みたいと思っているわけですが、初の長編小説『ソキョートーキョー』はもしかしてその試みだったのではないかとふと思いつきました。ぼんやりとは感じていたことですけど、それが写真行為の意味と絡んできたのは、堀江さんがいろいろな角度から私にとって写真とは何なのかを聞きだしてくれたからなのです。他者の声によってうちなる水脈が掘りだされ、流れがよくなる。「問われる立場」に立ったことで改めて<カタリココ>の課題が深く認識できた気がしました。
ところで『ソキョートーキョ』は現時点での私の回答ですが、書き終えたいま感じているのは、ネズミを擬人化したことで、さきほどから言っている人間の両側面が描きやすくなっているということです。その書きやすさを乗り越えて、人間たちの物語として書けるかどうかがつぎの課題だろうと思いました。(2010.11.8)

写真展「NY1980」がオープン!

??写真展「NY1980」がオープン! 会場を眺め渡すやいなや思わず笑みがこぼれました。黒縁のフレーム入りの8×10の写真が森岡書店の白い漆喰の壁にピタリと決まっています。以前、『須賀敦子のミラノ』ほか3冊をだしたときにイタリア取材の写真を展示したことがありましたが、個人的に撮り溜めてきた作品を公開したのは今回がはじめて。本をだすのとはまたちがった感動、感慨があるものですね。
昨夜のギャラリートークにはたくさんの方々が来てくださいました。まがりなりにも社会的な認知を得ている現時点から過去を振り返るのはむずかしいものです。現在の余裕が記憶を美化させてしまいますから。そうならないよう当時の心境をできるだけ忠実に再現したいと思い、あらかじめ自分に、なぜニューヨークに行ったのか、そこでなにをしていたのか、写真を撮りはじめたはどうしてか、という3つの質問を課しました。答えは出さずに、話しながら考えていったのですが、当時のことを語るうちにまざまざと甦ってきたのは、あの街であてのない日々を過ごしていたときの不安と寄る辺のなさ、まだ何者にもなっていない自分の過剰な自意識でした。そうしたもやもやから解放される手段として街を歩くこと、写真を撮ることをつかんだような気がします。
そのときから現在まで折りにふれて考えてきた「写真って何だろう」ということも最後にお話したのですが、観客の方々がものすごい集中度で聴いてくださっているのが感じられ、思わずことばに熱がこもりました。写真は外界とのエネルギーのやりとりによって生まれますが、それと同じことが起きたような記憶に残る夜となったのです。改めてご参加くださった方々に感謝いたします。
写真展は11月13日(土)まで。3日、6日、12日、13日の午後4時から在廊の予定です。なお6日はトークショーのために展示をご覧いただけるのは6時までとなります。→森岡書店(2010.11.2)

10月の書評空間では以下の2冊をとりあげました。

■『一〇〇年前の女の子』船曳由美(講談社)
少女の眼から見た100年前の上州における農村の暮らしが、道具類の描写のひとつひとつから浮かび上がる。こうした暮らしがたった100年前のことなのだという驚き!
■『SWISS』長島有里枝(赤々舎)
子連れでスイスに滞在した日々が写真と文章で綴られる。デビュー以来、他者との関係性をカメラを通して問いつづけてきた長島有里枝のひとつの到達点だ。寄藤文平の装丁も瞠目もの。→書評空間