大竹昭子のカタリココ

朗読イベント〈カタリココ〉&トークイベントのお知らせと「日々雑記」

おしらせ&雑記

6月の書評空間で以下の2冊を取り上げました。

■『名残りの東京』片岡義男(東京キララ社)
東京を彷徨しながらスナップする。写真機がもたらす孤独に惹かれた作家の描いた「意識地図」。
■『現代写真論』シャーロット・コットン(晶文社)  
90年代以降に欧米から盛り上がってきた「現代美術としての写真」を俯瞰。図版たくさん!→書評空間

日本の風土を感覚させる緻密なグレートーン

銀座ニコンサロンで開催中の上本ひとしの「周防国景」。生れ故郷であり、現在も暮らしている山口県周防を撮ったモノクロ写真群の張りつめたエネルギーに圧倒された。現場を見たらなんということのない風景だろうが、湿気を含んだグレートーンの独特な世界が立ち現われている。暗室技術がものすごい。だが、技術だけが前に出た冷たさがない。風景に透視したものが作品化されていて、視線の成熟とはこういうことかと感じ入った。1953年生まれで、75年から写真をとりだし、メーカーのフォトコンテストで腕を磨いてきた。2005年に出した初の写真集「峠越え」で写真関係者を驚かせ、翌年さがみはら新人賞を受賞、その頃から急カーブでテンションをあげてきた印象がある。「靴屋をやりながら写真を撮っている」と年譜にあるが、彼の仕事ぶりをみていると「アマチュア」とか「プロ」とかの区分けが意味をなさないのを痛感。地方にいてこのような力ある写真を淡々と作っている人がいるのだから、日本の写真のすそ野は広い!! 会場構成もすばらしく、息を詰めて1点1点を凝視した。(2010.6.28)

もっと言葉を!!!

東京都写真美術展で開催中の「古谷誠一 メモワール.」 展を見た。彼の撮影した20年間の写真を7つのカテゴリーに分けて展示している。ただ時間軸を追って名作を並べるのではなく、再編集しているところが意欲的だ。とくに古谷の自死した妻と、彼女の生んだ息子との対比が浮かび上がる「クリスティーネ」と「光明」のカテゴリーは、写真の残酷さが出ていて興味深かった。だが、広くはない展示会場に7つのカテゴリーはちょっと多すぎでは? とくに「エピファニー」などの言葉は一般人にはわかりづらいだろう。また会場に古谷の年表がないのが疑問。自己の体験を写真を介して咀嚼する仕事は背景がわからなくては読み込めない。美術館のサイトに載っている彼のインタビューが内容を理解するよき助けになるが、そこから言葉をとって展示するなどしてもよかったかもしれない。現状では古谷誠一の仕事をすでに知っている観客はいいとしても、初めて飛び込んできた人にはイメージの羅列に見えてしまい、せっかくのカテゴリーが活かされない感じがある。絵画の展覧会には年譜はもちろんのこと、各章ごとに解説パネルがあるが、写真展にもそうした工夫がもっとあっていい。写真関係者に言葉を遠巻きに使う傾向があるのがなんとももどかしい。(2010.6.28)

今週は一気にボラーニョの世界へ!

09008l.jpgよくやく再開する余裕が生れた。途中でストップしていたロベルト・ボラーニョの『野生の探偵たち』である。上下巻にまたがる大部な著書。出てすぐにこれは読まなくてはと思ったのは、前著の『通話』があまりにおもしろかったからだが、『文学界』八月号に書評を頼まれてますます必然性が高まった。「はらわたリアリズム」という奇妙な名の詩の運動と、謎の女性詩人を追跡していく話が、何十人もの登場人物の証言と日記によってつづられている。特異な構成なので最初はとっつきにくい感じがするが、語りのリズムが素晴らしく途中から引き込まれる。作品にはボラーニョ自身の若いころの経験が反映されているようだ。ものすごい碩学にして女好きで行動家で前後の見境のない破滅的な男。詩を身をもって生きているという感じ。読んでいくうちにだれかに似ているような気がしてきた。編集者を辞めて詩人になるか写真家になるか迷って写真を選んだ男。自分の写真を否定して浜で燃やした男。中上健次のスペイン紀行に同行したとき書店を見つけるごとに飛び込んでいき、「こんなにインテリの写真家がいるのか!」と中上を驚愕させた男。そう中平卓馬である。彼の60、70年代の姿をわたしは知らないが、こんな感じだったのではないかと思わせる。この週末中に読了せねば。そういえば週明けには中平の名著『来るべき言葉のために』がオシリスより復刊されるらしい。(2010.6.18)

クールなホンマさんとの緊張感あふれるカタリココ

honma0617_2_convert_20100618110632.jpg昨夜のカタリココは、写真家のホンマタカシさんをお迎えして神保町ボヘミアンズ・ギルドの2階で。背後にあるのは版画・書簡・色紙などの高級美術品。ふだんはなかなか2階に上がる勇気はありませんよね。ホンマさんはいつものように無愛想(失礼!)な表情でクールに登場。「ぼくはそうとは言ってません」「それは大竹さんの考えですよ」というようなずばっとした物言いに会場は息を詰めて聞いている感じでした。ライトパブリシティーの入社試験を受けようと大学の仲間と冗談で言って書類を出したら、ホントに出したのは彼だけで、受かってしまって大学を辞めたこと。写真にうんちくを傾ける学生の雰囲気にはなじめなかったけど、大森克己さんとはウマがあって彼の持っている写真集でひととおりの勉強したことなど若い頃の話題から、写真のスタイル、無意識を表出させる日本の写真の傾向、スナップショットとはなにか、エグルストン展のことなどに話題が発展しました。終わって観客の方々からいただいた感想は「緊張感があってよかった!」。みんなで共感しあう楽しさもいいですが、ときにはつばぜり合いになったり、火花がちったりと、個と個のぶつかりあう現場を見せるのもライブならではのスリルです。終わると「じゃ、これで」と、夜の巷にさっと消えていったのもホンマさんらしい姿でした。(2010.6.18)

原美のエグルストン展、ホンマさんのカタリココ。

原美術館でウィリアム・エグルストンの写真展がはじまった。これだけの規模のものは日本ではじめて。パリのカルチェ展で展示したパリと京都を撮った最近作と、彼の著名な写真集『ウィリアム・エグルストン・ガイド』からの7点とで構成されている。古い作品を期待すると物足りないかもしれない。だが、街のディテールの1部をクローズアップでした最近作も色が独特。手法としてはスナップショットの範疇に入り、伊藤園のお茶のボトルのアップとか、老人施設の告知板アップとか、日本人にとっては意味が先に目に入ってきてしまう対象が色と形象と、それがかもしだす気配のみをたよりに切り取られている。ふと立ち止まって考えさせる何かがある。それが何なのかはすぐには言えないのだが、意味と非意味の境界面を揺さぶってくるような感じがある。
 ホンマタカシは『たのしい写真』のなかでエグルストンについておもしろい指摘をしている。エグルストンはニューカラーの先駆者と言われる。そしてニューカラーの特徴には大型カメラの使用がある。だがエグルストンは小型のライカしか使わない。彼の前の世代はその小型カメラを使って「決定的瞬間」を狙ったが、彼はおなじカメラでそれとは対局のアンチ・クライマックス(非ドラマ性)の写真を撮る。その離れ業によって「モダン」と「ポストモダン」を行き来する振幅の大きな作品がつくられるところがエグルストンの写真の魅力だと彼は言う。こういう思索は実際にカメラに触っている人からしか生れでないものであり、とても新鮮。今週17日にはそのホンマさんとカタリココでトークをする。エグルストンの話題も出るだろう。とても楽しみ。

たんこぶだらけの田端、地勢の魅力と閑地の驚き

R0010760_convert_20100607160923.jpgこのところ、週末の街歩きは北新宿から中野本町の神田川周辺をうろついていたが、久しぶりに富田均の『東京徘徊』をめくっていたら、田端に出かけてみたくなった。
秋葉原から山手線で行くと、上野、鶯谷あたりから車窓の左手が崖地になってくる。右手は低地で、上野台地の端境に線路が通っているのがよくわかる。だんだんとその崖が高くなり、田端ではそれが頂点に達する感じになる。ホームよりかなり上に改札があるのだ。
田端駅に降り立ったことはほとんどない。前がいつだったか思い出せないほどだが、駅前の雰囲気がぼんやりと抱いていた印象とあまりに隔たっているのに驚いた。ビルが林立し、チェーン店が目立ち、郊外に来たかのよう。中野坂上駅の変容ぶりに似ている。
歩いたのはおもに、動坂下に下りて行く駅前通りの右手で、町名でいうと田端6丁目から2丁目のエリア。地勢にほかのどこともちがう特徴があってめっぽうおもしろい。小さなたんこぶのような起伏が目立ち、それを切り通して道をつけている。駅前通りも、東側と地続きになった台地を強引に割って通しているので陸橋がふたつもかかっている。陸橋のある風景はなぜか心ひかれる。そもそも橋というのが魅力的な上に、それが陸の上にかかっているのだから、起伏の激しさが強調されて忘れがたい風景が生まれるのである。
八幡神社といういい雰囲気の神社があった。江戸名所図会にも出てくる名所で、そのとなりの東覚寺には、赤紙を全身に貼り付けたぎょっとするような不動尊が立っていた。最初はブーゲンビレアの花かと思ったが、度を越す赤さなので近寄っていくとはがきサイズの赤紙が風にはためいていた。
この寺社の西側は広大な空地になっていた。前に団地か社宅でもあったのか、南向きの斜面で、見晴らしがすばらしくよく、動坂下の家々が眺め渡せる。『日和下駄』の「閑地」のところで永井荷風は、「閑地は元よりその時と場所とを限らず偶然に出来るもの故われわれは市内の如何なる処に如何なる閑地があるかは地面師ならぬ限り予めこを知ることが出来ない。ただその場に通りかかって始めてこれを見るのみである」と書き、散歩の途中に突然の出現するところに閑地の魅力のあることを指摘している。まったくそのとおりだ。道の先にこの風景を見つけたとき、驚きのあまり、思わずあっと声をあげそうになった。
今後どんな建物が建つかしらないし、大方駅前にある墓石のようなビルでうんざりさせられるにちがいないが、ほんのいっときあらわになった眼前の風景には、地勢を明らかにしつつ、無限の時空に引き込んでいくような魅力が感じられて陶然となった。さっそくカメラを取り出しファインダーを覗いてみると、ポンペイの遺跡を見ているようで、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなった。(2010.6.5)

7月のカタリココ、予約はじまりました。

7月3日、前田司郎さんをお迎えしてのカタリココ、すでに予約を開始しております。先日、東直子さんとトークしたときの即興話というのがとてもおもしろく、ぜひまた行いたいと思ってます。客席からお題をいただき、その言葉を含めた物語を即興で語るというもの。東さんは「バラ」と「海」、わたしは「バロック」と「気球」をいただき、それぞれに奮闘しました。前田さんならこの提案をおもしろがってくださるはず。ご期待ください!予約は会場の百年まで。

6月4日にABC本店で東直子さんとトークします!

東直子さんの新刊『甘い水』と私の『ソキョートーキョー』。ファンタジー的要素と寓話性に共通するものがあり、子どものころの読書を思いだすような雰囲気もあります。お互いに用意した質問を相手に投げかけながら探り合うトークセッション。リクエストした箇所を朗読してもらうコーナーもあります。会場からの質問もOK。どうぞお楽しみに!

■東直子×大竹昭子トークショー
日時 2010年6月4日(金)午後7時~9時 終了しました
場所 青山ブックセンター本店内Aスペース
料金 500円
予約 青山ブックセンター