大竹昭子のカタリココ

朗読イベント〈カタリココ〉&トークイベントのお知らせと「日々雑記」

おしらせ&雑記

秘密結社の集いのような盛り上がり。

写真家の板垣真理子さんをゲストに迎えた昨夜のカフェ・カタリココも満員御礼!アフリカから奴隷としてやってきたヨルバの人々が語り伝えた信仰がカンドンブレ。音楽と踊りと色の世界とが一つになった包容力と生命感にあふれた信仰のかたちだ。神々の理念体系はあるが、組織立った教団でないところもステキで、板垣さんの話を伺っているうちにじわじわとその魅力が私たちにも伝播してきた。いまカンドンブレは中米から北米大陸に広がり、とくにブラジルのアーティストはほとんどがカンドンブレのシンパだという。やっぱりひとりの創造主が世界を造ったとする一神教の末路は闘いしかないですよね!
朗読コーナーでは、板垣さんは『ブラジル紀行』のなかからカンドンブレやバイーアのくだりを、私は『ソキョートーキョー』の冒頭と駅伝大会を読んだが、ヨルバの話をたっぷり伺った後だったので鼠京とヨルバが重なってきたのに会場は大笑い。茶会記でのカタリココは昨夜がはじめてだったが、とても親密ないい空間。興奮さめやらぬ感じで終了後、双方の友人8名と近くの中華料理店へ! 旅好きの人ばかりでつづきの話に夢中になった。(2009.2.28)

2月の書評空間では以下の3冊を書評しました。

1.『斜線の旅』管啓次郎著(インスクリプト)
 点と点を結びつけていく行動力、知力、思索力。島空間を足場に世界を見渡す視線!
2.『光と重力』今井智己(リトルモア)
 風景の細部が克明に「見えてくる」、その恩寵のときを求めて。驚愕の写真集。
3.『崩壊』オラシオ・カステジャーノス・モヤ著/寺尾隆吉訳(現代企画室)
 3つの文体を駆使して遠望する家族のゆくえ。エル・サルバドル作家の初翻訳小説。
書評空間

マイアの放つ生命感がまぶしかった!

昨夜は代官山unitで行われたマイア・バルーのライブコンサートへ。3分の1を過ぎたあたりから、いまこの一瞬に生き歌っているというアウラが発揮され、空間全体が生命感に包まれた。奄美の島唄とアフリカの歌をミックスした「アラウルキンキン」では、だれにもまねできないマイアの世界が屹立する。彼女のことはデビュー前から知っており主なライブは見てきたが、目をみはる成長ぶりだ。ゲスト出演したラッパーの shing02も、連射される言葉、音、体の動きが創りだすリズムに品格があり、高い精神性を感じさせた。マイアがshingoに出会ったのは昨年のパリ。意気投合して一緒に何かしよう約束、昨夜のステージでそれが叶った。音楽の世界では共感しあった者がすぐにつながり、舞台ですべてを出し切る。物書きには体験できない現場感だ。明日のカタリココのゲストはミュージシャンへの興味から撮ったり書いたりしはじめた板垣真理子さん。マイアのライブに負けない生命感のある場にしたい!(2010.2.25) 

『ソキョートーキョー』書評第1号!

本日、2月23日『毎日新聞』夕刊の文芸欄で歌人の東直子さんが『ソキョートーキョー』を取り上げてくださいました。
東さんにお会いしたのは先週木曜です。堀江敏幸さんの読売文学賞受賞の二次会の席で、装幀家の間村俊一さんのとなりでニコニコ笑ってらしたのが東さんでした。そして今朝、東さんから「今日の夕刊に書きました」というお知らせが! お会いしたときに『ソキョートーキョー』の話はしなかったと思うのですが、書店でお求め下さった上に1週間もしないうちに読み、かつ書評をしてくださったのに驚愕&感激。新聞記者なみの速度です。うれしかったのは「奇想のようでいて、人々の生活と今の社会を覆っている不安が呼応して共感した」というお言葉です。ネズミの都市と人間の都市がパラレルワールドだなんて話に聞くだけでは安手のファンタジーのようですが、リアリティーに神経を使って書いたつもりなんです。それが伝わってうれしく思いました。東さん、ありがとうございました!(2010.2.23)

ただいま2011年カタリココを仕込み中。

2011年の<カタリココ>は6月に開催予定です。早いもので今年は5周年。ジュンク堂池袋店それを記念して6月13日より「カタリココと私」と題した展覧会開催予定。
今年お招きするゲストの顔ぶれは、5月20日、チラシ配布と同時にwebで発表いたします。どうぞお楽しみに!

「マガジン航」にカタリココのこと、書きました。

オンデマンドブックや青空文庫でおなじみのボイジャーがはじめた「マガジン航」には、本や出版をめぐるさまざまな記事が寄せられています。私がカタリココをはじめたのも、世間で叫ばれている「本の危機」がひとつの理由でした。危ない、だめだという声に暗くなるより、自分が活力を得られる場を創ろうと思ったのです。本の未来のためにいま種まきをしている。カタリココをしているとそんな気持ちになってきます→マガジン航(2010.2.22)

今日という日は……。

週末には出来るだけ約束を入れないでおく。おおまかなイメージだけ持って流れで物事を決めていく。今日はまずリトリモア地下の今井智己さんの写真展へ。もっと早く行きたかったのだけど、週末しか足を運ぶ時間がなく、終了の近づいているものから先行させるために、押せ押せになってしまった。
写真集『光と重力』は緊張感のある素晴らしい内容だった。だが、何か語ろうとすると言葉が出てこない。ところがその写真が展示されているのを見たら、それが呼び水になったように言葉が動きだした。「克明さ」をキーワードとして書きとめる。つぎに新宿二丁目のフォトグラファーズ・ギャラリーで開催中の北島敬三さんの写真展へ。同じように克明な写真だが、写っているものを等価にするための「克明さ」で両者のちがいを感じた。その後、あるライブイベントに顔を出すつもりだったが、いま感じていることをそのまま持ち帰って書きたい衝動にかられて直帰。書評空間に『光と重力』の書評を書いてアップする。時計は12時をまわった。写真にはじまり写真におわった土曜日が去っていく。どちらの写真展も2月28日まで!(2010.2.20)

心があたたまった一日。

東京FMのスタジオにて今日は「トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ」の収録で東京FMへ。
上梓したばかりの『ソキョートーキョー』についてパーソナルの田中美登里さんからインタビューを受けました。スタジオに入ると私がこれまで出した著作がデスクに山積みに。田中さんいわく、「この小説にはこれまでの作品の要素がすべて入っている!」。さすがご明察。鼠京と東京のパラレルワールドという枠組みが浮かんだとたんにこれまで考えきたことがそこにぶちこめるのに気づいたのです。人間と動物、都市と自然、東京の地形、下水道、共同体と個人、情報化社会、意識と無意識、理念と感情……まさに闇鍋状態。これまでの著作を読んできてくださった方ならではの言葉だとうれしく思いました。
 「トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ」はその名が示すとおり音楽関係のクロスカルチュラルなインタビュー番組で、はじまったのは1989年。ディレクターの田中さん自らがインタビュアーとなり、もう20年、1000回以上つづいてきました。私を最初に呼んでくださったのは1990年で、これまでに14回出演しています。街で音やインタビューを収録して一緒にドキュメンタリーを作り、それがギャラクシー賞や民放連賞のラジオ部門で入賞したこともありました。このように仕事を通じた人間関係が20年もつづくのはとてもうれしいこと。本が出たのをきっかけに旧交を暖められ、外の陽気とはうらはらに心の中がぽかぽかした一日でした。(2010.2.17)

『ソキョートーキョー』(ポプラ社)が出ました。

ソキョートーキョー 『ソキョートーキョー』だなんて呪文のようなタイトル。でも「鼠京東京」と漢字で書くとイメージが湧くのではないでしょうか。「鼠京」は読んで字のごとくネズミの都。対するところの「東京」はニンゲンたちの都。ふたつの街がパラレルワールドになった長編小説です。
 ストーリーを思いついたきっかけはスナネズミを飼ったことです。彼らのしぐさはニンゲンにそっくりで、我が身を見ているようなおかしさですが、考えてみればこの世に生を受けて以来、人の行くところはどこにでもついてきて、わたしたちのよき観察者として生きてきたのがネズミ族なのではないか、とそんな発見がこの物語の核になってます。
 別にジャンルの越境を目論んだわけではないのに、書きたいように書いたら説明しがたいものができてしまいました。本を出すごとにジャンルがばらばらで、書けばその内容までもが分類不可能なものになってしまう。どうやら越境はわたしの宿命であるらしい……。
 

 装幀はバッファロー・ジムの永松大剛さん。挿画は祖敷大輔さん。クレヨンによるテクスチャー感たっぷりの挿画が大胆にデザインされたカバーが見ものです。中を開けば本文組にもひと工夫アリ。ぜひ書店でお手にとってご覧ください。

ケントリッジ、ふたたび。

金曜に行ったウィリアム・ケントリッジ展に、最終日の今日にふたたび行ってしまった。いつまた見られるかわからないし、カタログを読んだらどうしてももう一度見たくなったので。
彼は言う。「私の愛する絵画たちは、私のためのものではない」と。
スラーが描いたセーヌ河のほとりにも工場があったし、ティエポロが天井画を描いた建物の周囲では農民が餓死していた。だが、彼らの絵にはそれは出てこない。
ケントリッジはそれを否定しない。それどころか彼らの絵を見るのは最大の喜びだと言う。だが、自分はそのように絵に向かうのは不可能であると。ケントリッジに深く共感したのはそこだ。自分のなかにある相矛盾したものへの肯定。それを創作によって統合しようとする情熱。
しかも理念だけでなく作品のタッチや美意識が他人とは思えないほど皮膚感覚に合う。10時の開館と同時に入ったが、出たのは13時半。なんと3時間半もいたとは!見ているといろんな想念が浮かびエネルギーが湧いてくる。あなたはまちがってないと励まされる。ケントリッジの作品は「私のためのものだ」。彼にとってのスラーの絵とは逆に。(2010.2.14)