大竹昭子のカタリココ

朗読イベント〈カタリココ〉&トークイベントのお知らせと「日々雑記」

カタリココ・レヴュー

2018年9月29日、佐藤貢とのカタリココ

IMG_8728_2_convert_20181009170316.jpg今回の展示は、インドの旅からもどって和歌浦の海辺に暮らしはじめた頃から最近作まで、10年以上の幅をもった作品群でした。むかしの作品を取り出して細部を点検したりするなかで、いろいろと思ったことがあったのではないか、とトークの最初で話を振ったところ、「終わったことには何の感慨もないんです、いや、ちゃんと作業はしましたけど、ただやるべきことを淡々とこなしただけという感じで」と話の接ぎ穂がないような返答。うーむ、そう来たか、と腕組みし、ここでスライド上映に移りました。

片づけたら貸してやると言われて、岩の崖を壁の一部として利用して造った秘密基地みたいな建物に手をつけたのが、創作のきっかけになったそうです。捨てるものが出る。これでなにかできないかと考える。そのころ、流木で額を作るのが流行っていたので、まねして作ってみたところ、四隅がうまく連結しなくて空きができ、苦肉の策として隙間の部分にほかの材料をつぎ足したら、おもしろくなりました。このとき、「商品をつくる」発想が「美術」へとシフトしたのでしょう。
このようにして、「視野が狭くて思い込みが強い自分」が、思いどおりにいかないことに遭遇するたびに、壊され、自由になっていくのを実感します。終わったことには関心がむかないのは、もしかしたらそうした歓びをもっとも優位に置いているためかもしれません。

はじめにイメージがあるのではなく、作品のために材料を探すのでもなく、自分のところに寄ってきたもの、手元にあるものを眺めることからはじめる「受け身」の制作。そう聞くと消極的のようですけど、運命に抗わずに受け止めるというのは彼の信念のようです。自らの意志で物事を操らずに、時空の判断にゆだね、進んでその運命に身を投げ出すのです。そのような考えに至ったいきさつについては、彼の著作『旅行記 前・続編』(iTohen press)お読みください。IMG_8739_convert_20181009161459.jpg
会場には、水平にしたスピーカーの上に木の実がのせられ、それが空気の振動により躍る、という作品も展示されました。これに仕込まれた音源は彼の自作ですが、なかなかすてきでした。あるときふっと音を作りたいなと思って押し入れを開けると、持っているはずのないミキシング装置がそこから現われた! と、なんだかオカルト風ですが、そうではなくて、酔った友人が自宅に持ち帰るのが面倒になり、彼の留守のときにあがりこんでしまい込んでいったのに、気がつかなかったのです。

このように、音を作りたいと思うやいなや、現実がその方向に動きだ、ということが彼の周辺ではよく起きます。自分の気持ちを時空の動きにあわせてつかまえる特異な感覚を持ちあわせているようです。それは創作にも活かされています。メインとなるパーツを手にし、別の廃品を付加して形をつくりあげていきます。ゼロから生み出すのとはちがう出会いの感覚が生きているのであり、微妙で、あやうく、はかないのに作品にどこか生命感が漂うのは、そのためのような気もします。

気がついた方もおられるでしょうが、作品は壁に打った一本の釘にひっかけられています。大きなものでも、たったひとつの支えによって固定されていて、見た目だけでなく、構造的にもバランスが考え抜かれているのです。作品がどこか建築的な印象を漂わせている理由がつかめたように思いました。

このように、佐藤貢の作品について書きだすと止まらなくなりますが、作品の繊細であやうい印象と、ナマの佐藤さんのギャップに触れられたのも、ライブの場ならではの醍醐味だったと思います。彼のユーモラスなストーリーテラーぶりに、会場からは終始笑いが絶えず、繊細さと強靭さの振れ幅の大きさにうならされ、人間の奥深さを想いました。(2018.10.9)









2018年7月20日、滝口悠生さんとのカタリココ

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ゲストとは初対面のことが多いのですが、滝口悠生さんとはそれだけなく打ち合わせもまったくなしでした。参加者にお配りした冊子(下の写真)にサインを入れる作業を、滝口悠生さんが開演ぎりぎりまでしてくださったからです。時計が30分を指したと同時にトークに入りましたが、もっと後で触れようと思っていた事柄が、どうしたわけか始めてすぐに口をついて出てしまいました。それは「時間」のことです。滝口さんの小説には時間への関心が通奏低音のように流れていますが、今回再読してとりわけそのことが印象に残り、こんなにふうに時間にあれこれ考えを巡らすのは、彼が無為な時間をたくさん過ごしてきたからだろう、と思ったのです。

いきなり本題に突入しすぎな感もありましたが、滝口さんは少しもたじろぐことなく、「うん、20代のころはひまでよく歩いてましたねえ」と答えました。大学に通うのに、埼玉の自宅から電車で池袋にでると早稲田まであの道、この道と平気で3時間くらい歩いてしまう。関西にいくにも新幹線がいやで鈍行を使う。そうやって身体感覚に見合う移動を重ねたことは、創作のベースになっていると思われます。人はなにの為でも無い時間を過ごしているとき、世間的な時空間からちょっとズレたところから物事を見たり感じたりします。それはその人の核を形づくるし文体にも出るのです。IMG_0331_convert_20180726140630.jpg 
小説のなかにはときおり驚くような文章が登場します。たとえば『茄子の輝き』のなかの「文化」は、主人公の「私」が神保町の食堂で文化の日にギョーザを食べる話なのですが、そこで以下の文章を遭遇したときはびっくりしました。
「私は肩掛けカバンとは別に、本が入っているらしい深緑のビニール袋を持っていた」。
「本が入っている」ではなくて「入っているらしい」。たしかに、祝日の昼間にビールとギョーザを頼めば、「入っているらしい」と言いたくなる気分になりますが、それにしてもはじまって早々にこう書くのはかなり勇気がいるし、校閲からも指摘されます。でも滝口さん曰く、「オレのせいじゃない、この人がそう言ったんだから(笑)」。

小説を書き始めたころは、書き手と物語の語り手(主人公)との関係の取り方がよくわからなかったと言います。語り手を自分から切り離して他者にするのがむずかしいということです。『高架線』では登場人物が名乗りをあげて話を切りだしますが、そう思えばあのスタイルは完璧です。名乗らせることで彼らが自立した存在になり、書き手はその人の言い分を聞けばいいという立場になる。両者の距離が一定するのです。
滝口さんの小説は、自己の内的世界を示すのではなく、外部にある物語に耳をすませるのが特徴ですが、その語りが時間軸にそって淡々と進むのではなく、途中に線路の切り替えポイントのような箇所があって巧みに視点や時間が切り替ります。そのために論理よりも流れで意味が決まっていく日本語の特性が最大限に引き出されており、「日本文学」というより「日本語文学」という呼び名がふさわしいような言葉の跳躍力を感じます。

滝口さんは秋からはじまるアイオワ大学のレジデンスプログラムに参加するために、まもなくアメリカに発つそうです。彼の「日本語文学」が英語圏でどのように受け取られるのか、世界各地から集まったさまざまな言語の作家たちからどんな刺激を受けるのか、とても楽しみです。(2018.7.28)

2018年5月23日、福田尚代さんとのカタリココ

IMG_2239-1_convert_20180530163546.jpeg 絵を描くよりも本を読むほうがずっと好きだった子どもが、なぜ文章ではなく、美術の道に進んだのか。福田尚代さんの経歴をみたとき、いちばんの謎はそこでしたが、福田さん曰く、「まったく考えもしなかった問いです」。
  大学がつづいている高校でそのまま進学するのが嫌で、美術学校に行こうと思ったのが絵をはじめた動機でした。つまり進路が先で絵は後から付いてきたのですが、描きだすと夢中になり、しかもその何に惹かれたかに彼女らしい理由があって、目の前にあるものを何時間でも見つめていられることがうれしかったと言います。もし日常生活でやったら頭がオカシイと疑われかもしれないことを、絵が理由ならば堂々とできたわけで、見つづけるうちに日常とはちがうように見えてきて、いままで見ていたものはなんだったのかと疑問に思うほどに。東京藝大の受験がその年は珍しいことに自由課題で、偶然見かけた石を描いて見事に合格。

 とはいえ、そこからはイバラの道でした。絵に対する実感がほかの人たちとかけ離れていて、凝視すればするほど対象が粒子に分解して形が描けなくなるのです。唯一、実感をもって行えたのは点を打つことで、しばらく点描をつづけますが、そのうちにそれが文字に見えてきて、回文をつくるようになりました。
美術の範疇からはみでた秘すべき行為としてつづけたそれが極点に到達したのは、結婚した相手の留学先についていった北米のワシントン州でのことでした。周囲に自然しかなくて、しじゅう雨の降っていて、荒涼として人工物がほとんど見あたらないのオリンピアとシアトルに六年間暮らし、それまで以上に深い孤独にさらされますが、その異国の日々がいまにつづく「福田尚代」の揺籃期となったのです。
 まず言葉が通じないことが新鮮でした。そのことを貴重に思い語学学校にはあえて行かず、言葉を身につける以前の幼児のような日々を過ごしました。言葉をもたないということは、存在の根拠が人間社会のなかになくなるということで、自然が近づいてきて自分との境界が消えていきます。日本では回文のことは隠していましたが、「完全にだれでもない人」になったそこでは隠す必要もなく、絶体絶命の状態に追い込まれながら、回文づくりに没頭しました。
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 話を聞いて、自然を見つめていたときに福田さんの目に映ったのはひらがなの源ではないかと思いました。直線で構成された漢字は面的要素もあって立体的ですが、すべてが曲線でできているひらがなは、平板でラインの流れが際立ちます。きっと彼女の目は自然物を見ながらモノとモノの際に生まれるラインをたどり、さまざまな形態に潜む生命のリズムを呼吸していたのでしょう。
 ひらがなは中国の漢字を簡略化したものですけれど、そう言われてもにわかに信じられないほどもとの形を超えています。回文はまずひらがなで書かれ、この状態ではパラパラして意味はとれず、それを漢字に置き換えて読み下したときにはじめて意味が浮かびあがりますが、はじめのひらがなの状態には線の流れに生命のさざめきを感じとっていた古代人の感覚が写しとられているように思います。本に熱中していた子供のころ、彼女は言葉の意味やお話の筋をたどるだけでなく、文字の形象を吸いとり、からだに溜め込んでいたのでしょう。自然のなかで樹々の枝や根っこや葉の重なりを見つめるうちにそれらが「文字の繊維」と重なるという体験が、言葉が失われた異国の地でより強く起きたのかもしれません。
 カタリココの翌日、福田さんから「昨夜は朝まで想うことが尽きず、今日は『隆房卿艶詞絵巻』の本を眺めてすごしました」とメールが届きました。『隆房卿艶詞絵巻』の葦手絵は桜や藤や柳の曲線のなかに文字が隠されていて、文字が意味を伝えるだけでなく、生命の波動を伝えるものでもあったのがわかります。オリンピアの自然のなかで福田さんはひらがなを生み出した昔の日本人と同じ眼差しでモノを見ていたのかもしれないと思うと、不思議な感動がわきあがります。だれかに影響を受けるのでもまねるのでなく、彼女にとって切実な問いをつきつめたあげくにたどりついたこの場所こそを「新しい美術」と呼びたいと思いました。(2018.6.5)
福田尚代著『ひかり埃のきみー美術と回文』書評



2017年11月11日、奈良美智さんとのカタリココ。

IMG_2393_convert_20171120205708.jpg奈良美智さんのインタビューや発言はたくさん活字になっているので、こういう場に出られることは多いかと思っていたら、なんとお客さんを前にトークするのははじめてとのこと。とても貴重な機会でした。カタリココは一年前とかかなり早くに出演依頼をしなければならず、そんな先のことを、といつも申し訳ないといつも思うのですが、奈良さんによれば、前々から言ってくれたから引き受けた、とのことなのです。どういうイベントでどういう人が出ているか、聞き手がどんな人でどんな本を書いているかなどを調べて準備したいからで、3週間前に言われたのではそれができないから嫌だそうなのです。物事を流せない、立ち止まって対したい人なのですね。
IMG_2407_convert_20171120205803.jpg 正直にうちあけると、私は奈良さんの作品と出会えた、と感じたのは実は最近のことです。写真は好きでしたが、絵画については印刷物でしか見ていなかったから、イラストのように感じていました。でも今回、豊田市美術館の展覧会を観て驚いたのです。一言でいうと凝視を求める絵。シンプルなモチーフのなかに込められた時間がじわじわと立ち上がってきて、深海に引き込まれたのです。
そもそも、奈良さんには写真家になろうとか、美術家になろうとかいう気持ちはなく、ただ描いていられる環境が欲しくてドイツに行き、長いことそこに留まっていました。そこではみんなと飲んだり遊んだりする時間をたくさん持ったけど、そういうことが作品に出る人と、出ない人がいる。出てしまうのが自分なのだとわかった、というお話には共感しました。自分を掘るとことが大事なのです。それがドイツの場所だったのでしょう。
奈良さんのに絵は背景が描かれません。その意味でちょっと日本画のようでもありますが、自分は人に見せるために描くのではないと悟ったとき、背景がどんどんと消えて、人物がひとりぽつんといるような絵になったとのこと。日本を離れて、自分と対面する孤独な時間のなかから掘り出されたスタイルだったのです。
奈良さんの絵は、熊谷守一の絵を思わせるところがあります。印刷物で見るとなんということにのに、ホンモノを見るとすごい緊張感。守一も自分の絵に到達するのに長い時間がかかっていますが、西洋絵画と日本画が合体したような、だれにもまねできないおもしろさがあるという意味で、奈良さんは熊谷守一の衣鉢を継いでいると言えるかもしれません。
IMG_2413_convert_20171120205739.jpg 最近は正面から描いているものが多いですが、そこにも彼なりの考えがあります。正面の構図にはそれほどバリエーションがなく、だれもが描きやすい。それを、だれでも使える道具を使って、自分にしかできないものにする、そういう修業をいまの自分はしているのではないか。きっとモチーフが変わらないのもそのためでしょう。
朗読では、郷土弘前の出身で、医者をしながら方言詩を描いた高木恭造の詩を三篇朗読してくれました。意味はほとんどわからなかったですけど、たちまち会場が北国の空気に包まれたのに驚きました。
奈良さんははじめて会うのに「懐かしい人」でした。東北訛りのせいか、なにか暖かいものに包まれたような気がしました。「若いときはいつ死んでもいいと思っていたけど、いまは生きたい、少数の顔の見える人たちのために何かをしたい」という彼の言葉が心のなかに残響しています。(2017.11.21)

2017年9月29日、長嶋有さんとのカタリココ

IMG_3185_convert_20171007152324.jpeg開場すると続々とお客さまがやってきて、7時半ぴったりにスタート。ふつうはよもやま話をしたりしながらゆるりとはじまるのですが、この日はご紹介が終わると即刻、長嶋さんのアタマが回転しだし、話の核心にズンズン入っていきました。初対面でしたが、そんなことはピクリとも感じる間のないまま、観客席を見渡して反応を確かめるのも忘れ、長嶋さんの顔をただひたすら見つめて話に夢中になり、ふと正面に掛かっている時計を見たら8時半!感覚としては20分くらいでしたが。
話題は『3の隣は5号室』と間取りのことに終始しました(正面本棚にはっておいた五号室の間取りが役立ちました!)。「『間取りと妄想』を読んでわかった、ぼくは間取りが好きなんじゃない、間取りを説明するのが好きなんだ!大竹さんのほうがずっと間取り好きだ」と長嶋さん。たしかに私は小説や映画でもっともワクワクするのは室内や建物の描写です。ストーリーはすぐに忘れてしまうし、登場人物の顔も覚えられないのに、一度見た空間は忘れない。でも、どうやったらこのことを小説を書くのに活かせるんでしょう。結局はなにをどう語るかなのですから、「説明するほうが好き」という長嶋さんの発言のほうがずっと小説家っぽくて、私は小説書きとしては亜流かもしれない、などと思いました。IMG_3204_convert_20171007152302.jpeg終わるといつもお店で打ち上げをしますが、そこでもまたトークがつづいているように話が展開し、どれもおもしろくて、お客さんがいないのがもったいないほど。気がつくと時計の針は12時をさしていて、あっ、電車がない!とあわててお開きにした次第。
長嶋さんが鋭い観察者なのは作品でわかってましたが、どうもその目玉は複眼になっていて、同時にいろいろなものを映し、記憶しているようです。つまり、シャイでのんびりした印象とちがって、内部はものすごく高速回転でハイテンション。物事とディテールの関係におもがけない結びつきを見出し、日常の色を変えてしまう、作家長嶋有の底力に目をみはりました!(2017.10.7)

2017年6月22日、名久井直子さんとのカタリココ。

IMG_4801.jpeg名久井直子さんの装幀の印象として、だれもが挙げるのは「愛らしさ」「かわいらしさ」ではないかと思いますが、名久井さんのなかには、それとは異なる力が潜んでいるような気がし、期待を込めて『間取りと妄想』の装幀をお願いしたところ、本をご覧になってのとおり、青焼き写真を応用した実に斬新なものが出来あがりました。きっとジャケ買いした方もいたのではないでしょうか。
岩手の旧家の、鴨居に祖先の写真がずらりと並んでいる部屋で、家にある唯一の書物である電話帳と冠婚葬祭のしきたりの本を遊び道具に、保育園にも幼稚園にも行かず、ときにNHKテレビを見ながら、寝たきりのおばあさんと過ごす、というかなり特異な育ち方をしたそうです。幼稚園に行かなかったのは、面接のとき、まわりの子供たちが粗暴なのに驚き、「行きたくないです」と母親に耳打ちすると、「なら、行かなくていいです」と言われたからで、このときのお母さんの英断がすごい!と思いました。本来もっているものが、鋳型にはめられることなく、自由に伸びていったことが、その後にかなり影響したはずです。
高校では理数系に進み、将来は数学者になろうと思ったほど、論理的な思考に惹かれた、というのも、納得でした。本をデザインするには、本の形やイメージだけではなく、紙などの資材や印刷方法や価格などを、総合的に考え、判断を下す必要があります。それができてはじめてさまざまなバリエーションに対処できるわけで、名久井さんの現在の仕事の広がりには、その数学的論理性が大きく作用しているのを感じますし、しかも読書家で内容への理解も深いとなれば、無敵です!
「設計」は英語だと「デザイン」ですが、あたかも、建物を設計するように、本の要素を組み立ててひとつの「建物」にするおもしろさ。名久井さんをここまで引っぱってきたのは、それなのでしょう。彼女以前にも女性のブックデザイナーはいましたが、このように総合的に本の造りを考えて、設計しはじめたのは名久井さんの世代からで、プロ意識のレベルが徹底しています。
IMG_4806.jpeg←(会場のポポタムにて)
子供のときに寝ていた部屋に先祖の肖像画があったことは書きましたが、その最初期の人はちょんまげをゆっていて、写真ではなく、絵だった、という話に惹かれました。写真のなかの人は視線が決まっているけれど、絵のなかの人はそうではなくて、自分が部屋のどこにいてもその視線で見つめられ、怖かった、と。
写真が一般化する以前に、ホンモノそっくりのモノクロの絵を遺影として飾ることがよくあり、岩手はとくにそれが盛んで、わたしも遠野の寺に奉納されてあるのを見たことがあります。話をうかがっていて、『遠野物語』の世界が名久井さんの世界と一気につながったような、不思議な気持ちになりました!(2017.6.30)
 

2017年4月27日、森山大道さん&内田美紗さんとのカタリココ

内田美紗さんにお会いしたきっかけをお話し、「森山大道さんのお姉様です」とご紹介すると、会場にどよめきが起きました! この事実はほとんど知られていませんが、大道さんの写真と美紗さんの句をあわせて『鉄砲百合の射程距離』(月曜社)をつくったポイントはその事実を知らせることではないので、本のなかでは隠したものの、こうしておふたりが並んだからには公表しないわけにはいきません!
katarikoko_-29_convert_20170429163940.jpgkatarikoko_-19_convert_20170429164154.jpgまず本の感想を伺ったところ、森山さんのセリフがふるっていました。「姉のほうがヤクザだなあ。ボクは写真の世界ではちょっとはヤクザかもしれないけど、姉のほうが上手。見知らぬ人がここにいるという感じがする」。
そもそも、その人のふだん見えない部分が表れ出るのが表現行為のおもしろさです。その度合いが高いほどすぐれた作品です。一方、知らないのに知っているような気になってしまうのが兄弟関係。本書に接した森山さんの驚きは両方の相乗効果だったのでしょう。
冬苺
おふたりに共通するものに官能性があります。俳句と写真のセレクト作業をしながらそれを強く感じました。色っぽさ、人間のあやうさ、いやらしさに目を留めるところ、ぷるぷると震えるような瞬間を見逃さないところが似ているのです。ですから、本書ではその部分を強調しました。美紗さん曰く、「セクシーであることは大事です、男でも女でもそう。フランスの作家が、異性から興味をもたれなかったらその人は終わる、と言ってますけど、そう思うんです」。
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私のなかにつねにあるのは、「表現とは何か」という問いかけで、話はおのずとその方向に進んでいきました。
「表現っていうのは基本的にあざといものだと思うんです」(美紗)
「そうだね、隠しても隠して見えてしまう」(大道)
つまり、表現者になったからにはあざとさから逃げられない、自分のあざとさを自覚しつつ、それに流されずにどう緊張感を維持するかが勝負のしどころなのですね。

改めて、表現とはその人が世界をどう認識しているかを表明する行為なのだと感じました。人生のあれやこれやの出来事や、それにまつわる感想や情感を伝えるものではない、それではお話の域を出ず作品には昇華しません。日々を生きながら実感していることを人間の事象として普遍化させる作業なのです。MisaDaido_cover_obi_W640-min_convert_20170430115854.png「内田美紗」という特異な才能を、結社の周辺で事が進んでいく俳句界に留めておくのはもったいない、トークをしながらつくづくそう思いました。彼女の作品がジャンルの境界を超えて多くの読者に届くよう、その活動の場が広がるよう微力ながら努めていくつもりです。

5月7日まで森岡書店銀座店にて、美紗さん、大道さん、わたしのサインがはいった『鉄砲百合の射程距離』を販売しています。この本に登場する森山さんの写真展も同時開催。大道さんの写真もお手頃な価格で買い求められますので、ぜひお立ち寄りください。一般書店での販売は連休明けからになります。撮影:谷本恵(2017.4.30)

2016年11月16日、柴田元幸さんとカタリココの初心にかえって朗読の話を。

shibata_w6002.jpgカタリココは「トークと朗読の夕べ」と謳っていますが、朗読について語り合った回はあまりなかったような気がします。多和田葉子さんが、「論文でも朗読に耐えるものじゃないとだめだ」とおっしゃっていたのを思いだすくらいでしょうか。

そもそもカタリココを思いついたのは、ドイツで朗読が盛んなことを知り、東京でもやってみようと思ったのがはじまりで、多和田さんにお越しいただいたときもドイツの状況を話していただきましたが、9年間つづけるうちにカタリココが朗読イベントしてはじまったことを忘れかけていました。
10周年のトリを柴田元幸さんに務めていただいたのは、そんなことが頭にあったからです。

柴田さんにはすぐれた翻訳者としての顔がありますが、それだけではなく、CDブック『ナイン・インタビューズ』では欧米の作家にインタビューしてその「声」を集め、トークイベントでは自ら朗読をし、古川日出男さんの朗読劇「銀河鉄道の夜」に出演して活躍するなど、「声」に高い関心を寄せてきました。

欧米の作家はよく、自分の「声」を見つける、という言い方をします。『ナイン・インタビューズ』でも、カズオ・イシグロが、自分の「声」を見つけなければならないと若いころ仲間と言い合ったものだ、でも、「声」が見つかってもそれでずっといけるわけではない、常に新しい「声」を見つけださなければならない、と語ってます。この「声」は日本語だと「文体」に当たるのでしょうが、英語の「文体」には「style」という別の言葉があります。つまり、私たちが「文体」と総称しているもののなかに彼らは「voice」と表現せずにはいられない要素を見いだしているのです。
なぜ「声」なのでしょう。

ひとつは英語の文章が基本的にリーディング・スクリプトだからだ、というお話にうなずきました。欧米の作家は「ちょっと声にだして読んでください」と頼むと、ためらわずにすぐに読むそうですが、たしかに単語をそのまま発音していけば読めます。音読の必然性が高い言語なのです。それに対して日本語の文章は、漢字の読みとか、息継ぎの箇所などの問題があって練習が必要で、声にするのにワンステップあります。

それには、明治以降の文学の「文体」も関係したようです。それらは翻訳文学をお手本にしてつくられてきましたが、「翻訳調」という表現がネガティブな意味で使われてきたように、翻訳文学は言葉遣いが固いというのが相場でした。それが近代の日本文学にも影響し、声にだして読む江戸時代の浄瑠璃のような文学は廃れ、黙読が主流となって言葉の「声」の側面が失われてきたのです。

ここ数年、以前に比べると朗読が盛んになっています。そこには柴田さんの貢献もあるわけですが、「僕も大きな流れのなかのひとりなのです」と彼は述べます。村上春樹さんをはじめとして、音を意識する翻訳者が登場して翻訳文学の文体が変わってきたこと、それに影響されて若い作家の文章が変化したこと、また川上未映子さん、町田康さん、中原昌也さんなど、音楽から小説のほうに入ってきた作家が増えたことなど、言葉の「声」の側面が意識されるようになるつれて、柴田さんの活動も加速されてきたのでした。
「もういまの作家は文体がどうしたとか言わないでしょう?」と柴田さん。
「たしかに。そのうちに日本の小説家も、声が決まらなくて書き出せなかった、なんて言うようになるかもしれないですね」と私。

柴田さんが米文学を選んだのは、米文学を教えている先生がすばらしかったからで、たまたまだそうです。ということは、ここよりよい世界がどこかにあると信じるアメリカ的価値観に惹かれたのではないのですね、と問うと、はっきりと「そうではないです」。日本に生まれて、日本人の親に育てられたことはゆるがないし、自分の場所はここだし、積極的に動きたいとも思わない、「そういう意味ではアメリカ文学はよそ事です」ということばを聞いて、自分が柴田さんを信頼しているわけが腑に落ちました。

つまり、自由と民主主義を信じて理想を求めるアメリカ的価値の啓蒙者ではない、ということです。彼の献身は、作家の「声」を聞き取り日本語にするという翻訳事業に向けられているのであり、その情熱とエネルギーが半端ではないところが、すばらしいのです!10周年の節目に、朗読について、「声」について、翻訳について深く語り合うことができ、初心にもどれたような気がしました。気持ちを新たに、来春から11年目に入ります。(2016.11.24)

2016年10月6日、武田花さんをお迎えしたカタリココ

IMG_1725.jpg武田花さんには、以前からカタリココに出ていただきたいと思っていましたが、トークはお嫌いというウワサだし、ここしばらく写真展も開いていないご様子です。そこで、まずは気楽におしゃべりをしませんかと持ちかけたところ、話だけなら、とご返事がきてお会いしたのは昨年の今頃だったと思います。
そのとき、来年に写真集を出されることがわかり、展示をするのにいいチャンスです、とまずは森岡書店銀座店での写真展開催を取り付けました。それからおもむろにカタリココに話題をむけたのですが、断固とした調子で「それはダメです!」とおっしゃるのでちょっとビビリましたが、これも話しているうちに了承してくださいました。やはり、顔を合わせて話すのは大事です。信頼関係を築く第一歩は顔合わせにあり、と改めて痛感した次第。
この機会を待ち望んでいた方は多かったようで、予約開始してすぐに席が埋まりました。

写真をご覧のように、写真展はカラーが中心。モノクロに親しんでいた方は、これが武田花さんの写真?とびっくりされたかもしれません。天気のいいある日、勇んで撮影に出掛けたところ、急に撮るのが嫌になり、もう写真なんて止めてしまおうとまで思い詰め、家に帰ってまずは寝たそうです。これは猫の教えで、悩んだらまず寝る。そして起きてじっくり考えたところ、写真に飽きたのではなく、カメラにモノクロフィルムを詰めて撮り歩く自分に飽きたのだ、おなじことを繰り返すだけで発展性のない自分がモンダイなのだ、と気づきます。それで心機一転してデジカメを購入。その少し前にカメラ雑誌のインタビューで「デジカメは使わないのですか?」と問われて「興味ないです」と即答したというのに、その舌の根も乾かぬうちにデジカメで撮ることに夢中になった自分に呆れつつも、いまはとにかく色に反応するのが面白くてしょうがない。その高揚感が丸ごと二次元の世界に置き換わったような写真展でした。
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今年に出た写真集『猫光線』は表紙はカラーですし、なかにもカラー写真がたくさん載っています。私はそれをじっくりと拝見したあとに、一冊前の写真集『道端に光線』にもどってみました。「光線」という言葉が同じだなあと思いつつページを捲るうちに、いくつかの写真が色が付いてカラーになって浮かび上がってくるのに気づきました。つまり、このときに花さんはすでに色に反応して撮っていたのですね。つまり、眼はカラーで見ていたのに、フィルムカメラだったからモノクロフィルムに転写されて出てくるしかなく、自分の変化に気づきにくかったのではないでしょうか。デジカメを使ってモニターで確認するようになると、色の魅力が意識化されていきます。

ところで、『猫光線』の表紙写真には前から不思議に思っていたことがあります。真ん中にびっくりした顔の猫が両手を広げて写っているのが、どういうシチュエーションで撮ったのものか、想像がつきませんでした。これはお母さんの武田百合子さんが、飼っていたタマさんを両手で持ち上げたところを撮ったものだそうです。写真には百合子さんの手が写ってますが、友人がそれをエアーブラシで消し、「空飛ぶ猫」になったのでした!

この写真のもうひとつの秘密は猫の額に張られた「光」の文字です。馴染みのある書体のようだけど、なんなのだろうと思っていました。武田家の猫は食事がとても贅沢で、タマさんが食べていたのは一個が十個分に相当するほど値段の張るヨード光卵! それを皿に割ってあげるとき、百合子さんはいつも卵についているシールを猫の額にペタっと張り、猫はそれをつけたまま卵をぺろぺろと舐める、という武田家で習慣化していた儀式を撮った写真なのです。

百合子さんだけでなく、父の泰淳さんの話も出てきました。学校の勉強はできないし、将来の計画もないし、「あの子はバカなんじゃないか」と花さんの行く末に悩んだ泰淳さんが、そのことを友人にぽろっと漏らすと、「それならカメラを買ってやったらどうだ」と助言され、カメラを買うようにとお金をくれたそうです。カメラ屋にいって買ってきたものの当初は興味がわかなかったのが、猫を見てはじめて撮りたいと気持ちが芽生え、それに背中を押されていまにつづく長い道のりがはじまったのでした。
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自然な流れのなかで写真のこと、猫のこと、百合子さんのこと、泰淳さんのことなどが語られていき、ファンにとってはこの上なくしあわせな機会でした。花さんの「野心のなさ」は、ときに周囲を不安にさせたかもしれませんが、そのつど適切な選択を下して人生を前に押し進めてきたように思えます。長年路上で訓練してきた五感の技と猫の教えがそれを支えてきたのでしょう。
(2016.10.9)

荒木経惟さんをお迎えしての、2016年6月2日のカタリココのご報告。

007_convert_20160622102843.jpg004_convert_20160622102922.jpg017_convert_20160622102941.jpg「遅れると心配すると思ってさ!」
会場の神保町ファインアーツにアラキさんが現れたのは開演の30分も前の6時半のこと。こんなに早く来てくださったゲストは初めてで、恐縮するとともにアラキさんの心遣いに感激。数日前、『センチメンタルの旅』のコンタクトシート展でお会いしたときも、「なにを話せばいいの?」と気にしてらしたので、「私の質問に答えてくださればいいんです!」とご返事したのですが、実際にトークがはじまるとアラキさんの独壇場。つぎつぎと話題が飛び出し、会場は爆笑の渦に! 
とはいえ、『センチメンタルな旅』についてこれだけは訊きたいと思っていたことは伺えました。新婚旅行の旅程を立てたのは陽子さんで、アラキさんは言われるままに従っただけとのこと。つまり京都のあと、陸路ではなく神戸から船で九州に渡り柳川に行ったのは、陽子さんの選択だったのです。写真集の後半はその柳川のシーンで埋められ、一つの山場を成していますが、その下地は陽子さんのなかにあった水の旅のイメージだったのがわかりました。
宿泊したのは柳川藩主立花家の屋敷跡の旅館。広い庭があって、書院作りの屋敷と洋館がたっていて、でも客は彼らだけで、どこを歩いてもだれにも会わない。そこで成り行きで陽子さんのヌードを撮影、となった次第。
持参したカメラはニコンFで、レンズは20ミリ一本、というのにも驚きました。「だから顔がひん曲がったりしてんだろ?」。広角ですから、寄りで撮ると顔が横にひっぱられて歪むんですね。それがなんともシュールな味わいをかもしだしてますし、またどの写真にも遠さが感じられるのも広角レンズのためでしょう。つまり、シュールで遠い感覚の写真にしたい、という目論みのもとにこのレンズを持参したのです。
アラキさんの場合、なにを撮るかは出たとこ勝負ですが、カメラとレンズの選択は厳密になされます。それは世界との距離と関係はカメラアイに決定されるからです。ちなみに、彼は撮った写真はすべて使用機種ごとにファイルしているそうで、この話もアラキさんがカメラという「眼」にどれほど意識的かを物語っているでしょう。
今回、『センチメンタルな旅』をコンタクトも含めてじっくりと眺めて改めて、視線が老成していることに驚かされました。31歳の人が撮ったとはとても思えません!この若さでこういう写真を撮る人は、この先どうなってしまうんだろう!? と思うほど、世界に向ける眼差しに熱狂がないのです。かつてインタビューで「汗はかくけど熱しない」と語ってくれたことが印象に残ってますが、まさにそのとおりのことがデビュー写真集には出ています。
この老成した眼差しと、少年のようなやんちゃな視線という二極のあいだを写真で往還しつづけている人。それが私の思い描く「荒木経惟像」です。その振幅の大きさにこそ、彼のエネルギーの源泉があるのではないでしょうか。
アラキさんの写真を探る旅はこれからもつづく予定で、今週末にはパリのギメ東洋美術館で開催中の彼の写真展に取材にいってきます。またどこかでそのご報告ができると思いますので、楽しみにお待ちください!(2016.6.22)

*3番目の写真は『センチメンタルな旅』のページを開いてアラキさんが説明をしているところ。「向かって右の写真はタテ位置で撮ったものを横にしたみたいに見えるけど、そうではないんだ!」。陽子さんの膝枕の上から寝転んで撮ったヨコ位置写真なのです!(会場写真の撮影はサカタトモヤさん)