大竹昭子のカタリココ

朗読イベント〈カタリココ〉&トークイベントのお知らせと「日々雑記」

〈カタリココ〉はトークと朗読のイベントです。
「語り」と「ここ」を合わせて〈カタリココ〉。
都内の四つの古書店を会場に、ゲストとトークしながらそれぞれの著書を朗読します。

これからのカタリココこれまでのカタリココ カタリココ・レヴュー

〈カタリココ〉〈カフェ・カタリココ〉以外の書店のイベント、写真のレクチャー、
シンポジウムなどについてご案内いたします。
写真:「西荻ブックマーク」主催の写真レクチャー&トーク

その他のイベント

大竹昭子(おおたけ・あきこ)
ノンフィクション、エッセイ、小説、写真評論など、ジャンルを横断して執筆。2007年にトークと朗読の会〈カタリココ〉をはじめる。また2011年3月に東日本大震災後、詩人や作家にことばをもちより朗読してもらう「ことばのポトラック」をスタート、現在も渋谷・サラヴァ東京にて継続中。 著作リストtwitter

[web連載]ときの忘れもの「迷走写真館」, 紀伊國屋書店「書評空間」, 月曜社「森山大道のon the road」, 草森紳一記念館「白玉楼中の人」

おしらせ&雑記

2018.11.27におこなわれた林典子さんとのカタリココ

DSCN2759_2_convert_20181207200512.jpgダーシュ(イスラム過激派)に攻撃されて故郷を追われて離散したシリアとイラクの国境近くに住む少数民族を取材した写真集『ヤズディ』には、今年ノーベル平和賞を受賞したナディアの写真が載っています。
そのことで林さんの仕事に注目が集まるなか、彼女はスライドを上映しながらヤズディとの出会いや取材の模様を語ってくれました。社会的に差別されているクルド人以上に蔑まれているヤズディ。話を聞くうちに簡単には言葉にならないさまざまな思いが胸のうちに去来し、会場は水を打ったように静まり返りました。人の運命が一瞬のうちに変わってしまうのは恐ろしいことですが、それに立ち向かっていく人間の姿は素晴らしく、その両方が伝わってきたのです。
DSCN2715_2_convert_20181207201251.jpg未知の事柄に遭遇すると、それがどのような事態なのか知りたい一心で踏み込んでいく林さん。体が熱くなるような彼女のパッションが次にむけられたのは北朝鮮です。その話も胸を打たれましたが、とりわけ興味深かったのは北朝鮮籍の在日朝鮮人と結婚して北朝鮮に渡り、一時帰国も叶わず、そのまま故郷を想いながら彼の地で歳を重ねている日本人妻の話です。
 林さんはいま生き残った彼女たちに会い、話を訊くことをつづけています。彼女たちの体験は表面的に報道されることはあっても、ひとりの人間の生がドキュメントされたことはこれまでありませんでした。この問題に林さんは社会問題という切り口で迫るのではなく、ましては正義感で取材するのでもありません。人は時代や社会と無関係に生きることはできないのを意識しつつ、ひとりひとりに出会い、その生をできるだけ深く写真と文章で写し取ろうとします。「いまは彼女たちに会いたいという気持ちがいちばん大きいです」という言葉からは、最初から落とし所を決めるのではなく、まっさらな状態でひとりの人間として他者の前に立つことの大切さが伝わってきました。効率主義からほど遠いこうした行為こそが芸術表現の原点。改めてそう思い至った尊い時間でした。
DSCN2771_convert_20181207200648.jpgテレビ番組の出演依頼も多いそうですが、自分の望まない取り上げ方がされそうならば絶対に抗議し、タイトルはもちろん、バックに流れる音楽にも言い分を通すと矜持の持ち主です。こう書くと、堅い鎧を着た人がイメージされるかもしれませんが、写真をご覧のとおり朗らかでしなやかな感性の持ち主で、こういう人と仕事をしたら相手も考えを改めざるを得ないだろうと思わされました!
 来年は北朝鮮のことがまず岩波新書に、ついで赤々舎から写真集にまとまる予定だそうです。大いに期待を寄せています。(2018.12.10)


林典子さんとのカタリココのご報告です!

DSCN2759_2_convert_20181207200512.jpgダーシュ(イスラム過激派)に攻撃されて故郷を追われて離散したシリアとイラクの国境近くに住む少数民族を取材した写真集『ヤズディ』には、今年ノーベル平和賞を受賞したナディアの写真が載っています。
そのことで林さんの仕事に注目が集まるなか、スライドを上映しながらヤズディとの出会いや取材の模様を語ってくれました。差別されているクルド人以上に社会から蔑まれているヤズディ。話を聞くうちに簡単には言葉にならない思いが胸のうちに去来し、会場は水を打ったように静まり返りました。人の運命が一瞬のうちに変わってしまうのは恐ろしいことですが、それに立ち向かっていく人間の姿もまた素晴らしく、その両方が伝わってきたのです。
DSCN2715_2_convert_20181207201251.jpg未知の事柄に遭遇すると、それがどのような事態なのか知りたい一心で踏み込んでいく林さん。体が熱くなるような彼女のパッションが次にむけられたのは北朝鮮です。その話にも引き込まれましたが、とりわけ興味深かったのは北朝鮮籍の在日朝鮮人と結婚して北朝鮮に渡り、一時帰国も叶わず、そのまま故郷を想いながら彼の地で歳を重ねている日本人妻の話です。
 林さんはいま生き残った彼女たちに会い、話を訊くことをつづけています。彼女たちの体験は表面的に報道されることはあっても、ひとりひとりの生がドキュメントされたことはこれまでありませんでした。この問題に林さんは社会問題という切り口で迫るのではなく、ましては正義感で取材するのでもありません。人は時代や社会と無関係に生きることはできないのを意識しつつ、個人として出会い、その生をできるだけ深く写真と文章で写し取ろうとします。「いまは彼女たちに会いたいという気持ちがいちばん大きいです」という言葉からは、最初から落とし所を決めるのではなく、まっさらな状態でひとりの人間として他者の前に立つことの大切さが伝わってきました。効率主義からほど遠いこうした行為こそが芸術表現の原点。改めてそう思い至った尊い時間でした。
DSCN2771_convert_20181207200648.jpgテレビ番組の出演依頼も多いそうですが、自分の望まない取り上げ方がされそうならば絶対に抗議し、タイトルはもちろん、バックに流れる音楽にも言い分を通すと矜持の持ち主。こう書くと、堅い鎧を着た人がイメージされるかもしれませんが、写真をご覧のとおり朗らかでしなやかな感性の持ち主で、こういう人と仕事をしたら相手も考えを改めざるを得ないだろうと思わされました!
 来年は北朝鮮のことがまず岩波新書に、ついで赤々舎から写真集にまとまるそうです。大いに期待を寄せています。(2018.12.10)


「一日だけの須賀敦子展」、グッドアイデアでした!

「一日だけの須賀敦子展」は開催が決まったのが急だし、ウィークデーだし、だれも見に来ないのではないかと思っていたら、あにはからんや、たくさんお越しいただき、ありがとうございました。

はじまりは、BOOKS青いカバの小国さんと、昨年のギャラリーときの忘れものの忘年会でお会いしたのがきっかけです。トークショーをやっているというので、いつかしましょうねとお話しましたが、それならば書店の店舗でおこなうより、ギャラリーときの忘れものでやったら、お互いのお客さんがまじりあっておもしろいのではないか、と思いついたのが9月のこと。
ギャラリーの綿貫さんにお話ししたら、大歓迎!と言ってくださり、まずトークショーの開催が決まりました。
そしてその22日が接近してきたある日、その日は展示がないので一日かぎりに須賀敦子展をしましょう!と綿貫さんがおっしゃり、トントン拍子に話しが進みました。こういう勢いって、きっとお客さんにも伝わるのですね。

「一日だけの須賀敦子展」の開催については、須賀さんのご遺族である妹さんの北村良子さんにもメールでお伝えしてありました。先日、ご返事が届きました。「お知らせを見て、歳も忘れて飛んでいこうかと思いました」「その話の輪に入りたがっている姉を想像しました」とあり、そうか、あの日の集いは須賀さんのスピリットを引き継いでいたから熱気があったのか、と膝を打ちました。本が売れないと言ってなげくのではなく、本好きのための場を広げることに意欲を注いでいかなければと思いました。
来年は「この一日だけの○○展」を別のテーマでしましょうと話しています。ご期待ください。

ところで良子さんのメールには、届いたものは読めるけれど、文字を打とうとするとパソコンの機嫌が悪くてだめで、ひさしぶりにiPadでぽつりぽつりと打っているので読みにくくてごめんなさい、と書かれてあり、その物言いまでが須賀さんみたいで、とても懐かしかったです。(2018.11.26)植田&大竹写真_convert_20181126170407

11月22日(木)に「一日だけの須賀敦子展」を開催いたします。

8f3419d9-s_convert_20181117165649.jpg最初の企画はトークショーだけでしたが、それが「一日だけの須賀敦子展」に広がったのはたったの一週間前のことです!
会場は駒込にある<ギャラリーときの忘れもの>。そこの空間を使って、須賀さんの足跡をたどりつつ私が撮影したミラノ・ヴェネツィア.ローマの写真を展示します(点数は森岡書店の写真展の倍以上で、サイズも大きいものが含まれます)。加えて、須賀さんの全著作と翻訳書を展示する一室をもうけます。
須賀さんはミラノにいたとき、日本の小説をセレクトし、ペッピー丿の協力を得てイタリア語に翻訳し、『現代日本文学選』をだします。ここにはヨーロッパではじめて紹介された小説もはいっており、当時、日本文学に興味のあるイタリア人は、川端康成、谷崎潤一郎などをイタリア語で読めるなんてなんという幸運! と思ったそうですが、今回、幸いにもイタリア文化会館からその本を拝借できることになりました。他にもコルシア書店から出版され、河出書房新社が日本語版をだした『こうちゃん』なども展示いたします。いきなり思いついたにしては濃い展示になりそうで、いまからわくわくしています。
77d190ab_convert_20181117165517.jpg私にとって須賀敦子は、作品のすばらしさはもちろんですが、それだけに留まらずに本を行動に結びつけたところに共感を覚えます。出版部をもっていたコルシア書店での活動はその典型で、そこから彼女は日本の友人たちのために「どんぐりのたわごと」という冊子を作って送っていました。そういう須賀さんのスピリットを、作品を読み込みながら引き継いでいくのが私のミッションだと思っています。今回のイベントは<ギャラリーときの忘れもの>とそこから数分の距離にある書店「青いカバ」との協同企画。ギャラリーと書店がこのように交流する地点には必ずや本の未来が開けるでしょう!
 もうひとつの魅力的なのは<ギャラリーときの忘れもの>が入っている建物です。阿部勤さんが設計された住宅建築の名作で、ホワイトキューブの展示空間とは異なり、多彩な表情を生み出します。そのような場所で展覧会&トークができるとはなんという幸運。一日かぎりのイベントですが、展示は11時から19時まで随時ご覧になれますので、建築散歩がてら足をお運びください。トークは19時半からで、こちらは予約制ですので「青いカバ」さんにご予約ください。当日、天気がいいことを祈っています!(2018.11.17)
◎青いカバ
http://livedoor.blogimg.jp/tokinowasuremono/imgs/7/7/77d190ab.jpg
◎ギャラリーときの忘れもの
http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/53363767.html

11月27日のカタリココはフォトジャーナリストの林典子さんをお迎えします!

早いもので、今年最後のカタリココです。林典子さんのことは、ノーベル平和賞ナディア・ムラドさんとともにメディア紹介されたので、ご存知の方も多いと思います。林さんはイスラム国に攻撃され難民となった、シリアとイラクの国境近くに暮らしていた少数民族ヤズディの人々に会い、写真を撮り、インタビューを重ねて一昨年、写真集『ヤズディの祈り』をだしました。そのなかに、ナディア・ムラドさんも登場します。わたしはこの写真集ではじめて彼らを存在を知ったのですが、起きた出来事を追うだけではなく、長い時間の幅のなかで彼らのたどった運命に想像をはせ、視えない存在に目を凝らそうとする彼女の姿勢に胸を打たれました。また今年出された『フォトジャーナリストの視点』もとても良い内容で、フォトジャーナリズムの現在について考えさせます。ヤズディのことはもちろん、新たに取り組んでいる北朝鮮のシリーズについても伺いたいと思っています。(2018.11.6)
ヤズディ_convert_20181105160407フォト_convert_20181105160432


















◎日時 11月27日(火)19時開場/19時30分開演
   
会場 森岡書店銀座店
 東京都中央区銀座1‐28‐15 鈴木ビル1階
  電話 03-3535-5020


要予約:電話 03-3535-5020


*朝日新聞に書いた『ヤズディの祈り』の書評は「好書好日」で読むことができます。
https://book.asahi.com/article/11928744

11月の迷走写真館はこの写真です!

1bc28b40-s.jpg待合所に妙に惹かれます。なぜならば、自分の時間が自由にならず、相手の時間に身をゆだねるしかない、という意味において、だれもがしばし等しい立場に立つのがこの場所だからです。写真はグレーハウンドのターミナル。ずらりと並んだコインロッカーの冷ややかな感触が、待つことの冷酷さを象徴。それれに勝てるのは諦観者だけです。→ギャラリーときの忘れもの(2018.11.5)

2018年9月29日、佐藤貢とのカタリココ

IMG_8728_2_convert_20181009170316.jpg今回の展示は、インドの旅からもどって和歌浦の海辺に暮らしはじめた頃から最近作まで、10年以上の幅をもった作品群でした。むかしの作品を取り出して細部を点検したりするなかで、いろいろと思ったことがあったのではないか、とトークの最初で話を振ったところ、「終わったことには何の感慨もないんです、いや、ちゃんと作業はしましたけど、ただやるべきことを淡々とこなしただけという感じで」と話の接ぎ穂がないような返答。うーむ、そう来たか、と腕組みし、ここでスライド上映に移りました。

片づけたら貸してやると言われて、岩の崖を壁の一部として利用して造った秘密基地みたいな建物に手をつけたのが、創作のきっかけになったそうです。捨てるものが出る。これでなにかできないかと考える。そのころ、流木で額を作るのが流行っていたので、まねして作ってみたところ、四隅がうまく連結しなくて空きができ、苦肉の策として隙間の部分にほかの材料をつぎ足したら、おもしろくなりました。このとき、「商品をつくる」発想が「美術」へとシフトしたのでしょう。
このようにして、「視野が狭くて思い込みが強い自分」が、思いどおりにいかないことに遭遇するたびに、壊され、自由になっていくのを実感します。終わったことには関心がむかないのは、もしかしたらそうした歓びをもっとも優位に置いているためかもしれません。

はじめにイメージがあるのではなく、作品のために材料を探すのでもなく、自分のところに寄ってきたもの、手元にあるものを眺めることからはじめる「受け身」の制作。そう聞くと消極的のようですけど、運命に抗わずに受け止めるというのは彼の信念のようです。自らの意志で物事を操らずに、時空の判断にゆだね、進んでその運命に身を投げ出すのです。そのような考えに至ったいきさつについては、彼の著作『旅行記 前・続編』(iTohen press)お読みください。IMG_8739_convert_20181009161459.jpg
会場には、水平にしたスピーカーの上に木の実がのせられ、それが空気の振動により躍る、という作品も展示されました。これに仕込まれた音源は彼の自作ですが、なかなかすてきでした。あるときふっと音を作りたいなと思って押し入れを開けると、持っているはずのないミキシング装置がそこから現われた! と、なんだかオカルト風ですが、そうではなくて、酔った友人が自宅に持ち帰るのが面倒になり、彼の留守のときにあがりこんでしまい込んでいったのに、気がつかなかったのです。

このように、音を作りたいと思うやいなや、現実がその方向に動きだ、ということが彼の周辺ではよく起きます。自分の気持ちを時空の動きにあわせてつかまえる特異な感覚を持ちあわせているようです。それは創作にも活かされています。メインとなるパーツを手にし、別の廃品を付加して形をつくりあげていきます。ゼロから生み出すのとはちがう出会いの感覚が生きているのであり、微妙で、あやうく、はかないのに作品にどこか生命感が漂うのは、そのためのような気もします。

気がついた方もおられるでしょうが、作品は壁に打った一本の釘にひっかけられています。大きなものでも、たったひとつの支えによって固定されていて、見た目だけでなく、構造的にもバランスが考え抜かれているのです。作品がどこか建築的な印象を漂わせている理由がつかめたように思いました。

このように、佐藤貢の作品について書きだすと止まらなくなりますが、作品の繊細であやうい印象と、ナマの佐藤さんのギャップに触れられたのも、ライブの場ならではの醍醐味だったと思います。彼のユーモラスなストーリーテラーぶりに、会場からは終始笑いが絶えず、繊細さと強靭さの振れ幅の大きさにうならされ、人間の奥深さを想いました。(2018.10.9)









佐藤貢展とカタリココのご報告です!

IMG_8728_2_convert_20181009170316.jpg今回の展示は、インドの旅からもどって和歌浦の海辺に暮らしはじめた頃から最近作まで、10年以上の幅をもった作品群でした。むかしの作品を取り出して細部を点検したりするなかで、いろいろと思ったことがあったのではないか、とトークの最初で話を振ったところ、「終わったことには何の感慨もないんです、いや、ちゃんと作業はしましたけど、ただやるべきことを淡々とこなしただけという感じで」と話の接ぎ穂がないような返答。うーむ、そう来たか、と腕組みし、ここでスライド上映に移りました。

片づけたら貸してやると言われて、岩の崖を壁の一部として利用して造った秘密基地みたいな建物に手をつけたのが、創作のきっかけになったそうです。捨てるものが出る。これでなにかできないかと考える。そのころ、流木で額を作るのが流行っていたので、まねして作ってみたところ、四隅がうまく連結しなくて空きができ、苦肉の策として隙間の部分にほかの材料をつぎ足したら、おもしろくなりました。このとき、「商品をつくる」発想が「美術」へとシフトしたのでしょう。
このようにして、「視野が狭くて思い込みが強い自分」が、思いどおりにいかないことに遭遇するたびに、壊され、自由になっていくのを実感します。終わったことには関心がむかないのは、もしかしたらそうした歓びをもっとも優位に置いているためかもしれません。

はじめにイメージがあるのではなく、作品のために材料を探すのでもなく、自分のところに寄ってきたもの、手元にあるものを眺めることからはじめる「受け身」の制作。そう聞くと消極的のようですけど、運命に抗わずに受け止めるというのは彼の信念のようです。自らの意志で物事を操らずに、時空の判断にゆだね、進んでその運命に身を投げ出すのです。そのような考えに至ったいきさつについては、彼の著作『旅行記 前・続編』(iTohen press)お読みください。IMG_8739_convert_20181009161459.jpg
会場には、水平にしたスピーカーの上に木の実がのせられ、それが空気の振動により躍る、という作品も展示されました。これに仕込まれた音源は彼の自作ですが、なかなかすてきでした。あるときふっと音を作りたいなと思って押し入れを開けると、持っているはずのないミキシング装置がそこから現われた! と、なんだかオカルト風ですが、そうではなくて、酔った友人が自宅に持ち帰るのが面倒になり、彼の留守のときにあがりこんでしまい込んでいったのに、気がつかなかったのです。

このように、音を作りたいと思うやいなや、現実がその方向に動きだ、ということが彼の周辺ではよく起きます。自分の気持ちを時空の動きにあわせてつかまえる特異な感覚を持ちあわせているようです。それは創作にも活かされています。メインとなるパーツを手にし、別の廃品を付加して形をつくりあげていきます。ゼロから生み出すのとはちがう出会いの感覚が生きているのであり、微妙で、あやうく、はかないのに作品にどこか生命感が漂うのは、そのためのような気もします。

気がついた方もおられるでしょうが、作品は壁に打った一本の釘にひっかけられています。大きなものでも、たったひとつの支えによって固定されていて、見た目だけでなく、構造的にもバランスが考え抜かれているのです。作品がどこか建築的な印象を漂わせている理由がつかめたように思いました。

このように、佐藤貢の作品について書きだすと止まらなくなりますが、作品の繊細であやうい印象と、ナマの佐藤さんのギャップに触れられたのも、ライブの場ならではの醍醐味だったと思います。彼のユーモラスなストーリーテラーぶりに、会場からは終始笑いが絶えず、繊細さと強靭さの振れ幅の大きさにうならされ、人間の奥深さを想いました。(2018.10.9)

*『旅行記 前・続編』はボヘミアンズ・ギルド(スズラン通りの書店)で入手できます。










10月の迷走写真館はこの写真です!

89dd4c1f-s.jpg櫛で梳かれているときと、四方八方に乱れ飛んでいるときと、頭皮を離れて抜け落ちたとき。
状態によってさまざまに表情が変化し、見る側の情緒にも影響を与える髪の毛。
長い髪が潮風に乱れて飛ぶにまかせながら、海原を見つめている女生徒の心は、いま空白状態にある。
来るべきものを予感し、空っぽの心地よさに浸っているかのようだ。
ギャラリーときの忘れもの(2018.10.5)