大竹昭子のカタリココ

朗読イベント〈カタリココ〉&トークイベントのお知らせと「日々雑記」

〈カタリココ〉はトークと朗読のイベントです。
「語り」と「ここ」を合わせて〈カタリココ〉。
都内の四つの古書店を会場に、ゲストとトークしながらそれぞれの著書を朗読します。

これからのカタリココこれまでのカタリココ カタリココ・レヴュー

〈カタリココ〉〈カフェ・カタリココ〉以外の書店のイベント、写真のレクチャー、
シンポジウムなどについてご案内いたします。
写真:「西荻ブックマーク」主催の写真レクチャー&トーク

その他のイベント

大竹昭子(おおたけ・あきこ)
ノンフィクション、エッセイ、小説、写真評論など、ジャンルを横断して執筆。2007年にトークと朗読の会〈カタリココ〉をはじめる。また2011年3月に東日本大震災後、詩人や作家にことばをもちより朗読してもらう「ことばのポトラック」をスタート、現在も渋谷・サラヴァ東京にて継続中。 著作リストtwitter

[web連載]ときの忘れもの「迷走写真館」, 紀伊國屋書店「書評空間」, 月曜社「森山大道のon the road」, 草森紳一記念館「白玉楼中の人」

おしらせ&雑記

12月の迷走写真館はこの写真です!

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楽しげな草原のピクニックです。
一頭のひつじが正面を向いているのがミソ。
カレの視野には写真家の存在も入っているかもしれません。
このなかでいちばん冷静な感じもします。

反対に、いちばん冷静でないのは左のハンチングの男。
かなり出来上がっている様子で、しかももう一本開けようとしています!
ときの忘れもの

2016年11月16日、柴田元幸さんとカタリココの初心にかえって朗読の話を。

shibata_w6002.jpgカタリココは「トークと朗読の夕べ」と謳っていますが、朗読について語り合った回はあまりなかったような気がします。多和田葉子さんが、「論文でも朗読に耐えるものじゃないとだめだ」とおっしゃっていたのを思いだすくらいでしょうか。

そもそもカタリココを思いついたのは、ドイツで朗読が盛んなことを知り、東京でもやってみようと思ったのがはじまりで、多和田さんにお越しいただいたときもドイツの状況を話していただきましたが、9年間つづけるうちにカタリココが朗読イベントしてはじまったことを忘れかけていました。
10周年のトリを柴田元幸さんに務めていただいたのは、そんなことが頭にあったからです。

柴田さんにはすぐれた翻訳者としての顔がありますが、それだけではなく、CDブック『ナイン・インタビューズ』では欧米の作家にインタビューしてその「声」を集め、トークイベントでは自ら朗読をし、古川日出男さんの朗読劇「銀河鉄道の夜」に出演して活躍するなど、「声」に高い関心を寄せてきました。

欧米の作家はよく、自分の「声」を見つける、という言い方をします。『ナイン・インタビューズ』でも、カズオ・イシグロが、自分の「声」を見つけなければならないと若いころ仲間と言い合ったものだ、でも、「声」が見つかってもそれでずっといけるわけではない、常に新しい「声」を見つけださなければならない、と語ってます。この「声」は日本語だと「文体」に当たるのでしょうが、英語の「文体」には「style」という別の言葉があります。つまり、私たちが「文体」と総称しているもののなかに彼らは「voice」と表現せずにはいられない要素を見いだしているのです。
なぜ「声」なのでしょう。

ひとつは英語の文章が基本的にリーディング・スクリプトだからだ、というお話にうなずきました。欧米の作家は「ちょっと声にだして読んでください」と頼むと、ためらわずにすぐに読むそうですが、たしかに単語をそのまま発音していけば読めます。音読の必然性が高い言語なのです。それに対して日本語の文章は、漢字の読みとか、息継ぎの箇所などの問題があって練習が必要で、声にするのにワンステップあります。

それには、明治以降の文学の「文体」も関係したようです。それらは翻訳文学をお手本にしてつくられてきましたが、「翻訳調」という表現がネガティブな意味で使われてきたように、翻訳文学は言葉遣いが固いというのが相場でした。それが近代の日本文学にも影響し、声にだして読む江戸時代の浄瑠璃のような文学は廃れ、黙読が主流となって言葉の「声」の側面が失われてきたのです。

ここ数年、以前に比べると朗読が盛んになっています。そこには柴田さんの貢献もあるわけですが、「僕も大きな流れのなかのひとりなのです」と彼は述べます。村上春樹さんをはじめとして、音を意識する翻訳者が登場して翻訳文学の文体が変わってきたこと、それに影響されて若い作家の文章が変化したこと、また川上未映子さん、町田康さん、中原昌也さんなど、音楽から小説のほうに入ってきた作家が増えたことなど、言葉の「声」の側面が意識されるようになるつれて、柴田さんの活動も加速されてきたのでした。
「もういまの作家は文体がどうしたとか言わないでしょう?」と柴田さん。
「たしかに。そのうちに日本の小説家も、声が決まらなくて書き出せなかった、なんて言うようになるかもしれないですね」と私。

柴田さんが米文学を選んだのは、米文学を教えている先生がすばらしかったからで、たまたまだそうです。ということは、ここよりよい世界がどこかにあると信じるアメリカ的価値観に惹かれたのではないのですね、と問うと、はっきりと「そうではないです」。日本に生まれて、日本人の親に育てられたことはゆるがないし、自分の場所はここだし、積極的に動きたいとも思わない、「そういう意味ではアメリカ文学はよそ事です」ということばを聞いて、自分が柴田さんを信頼しているわけが腑に落ちました。

つまり、自由と民主主義を信じて理想を求めるアメリカ的価値の啓蒙者ではない、ということです。彼の献身は、作家の「声」を聞き取り日本語にするという翻訳事業に向けられているのであり、その情熱とエネルギーが半端ではないところが、すばらしいのです!10周年の節目に、朗読について、「声」について、翻訳について深く語り合うことができ、初心にもどれたような気がしました。気持ちを新たに、来春から11年目に入ります。(2016.11.24)

2016年最後のカタリココは柴田元幸さんと、初心にかえって朗読の話を。

shibata_w6002.jpgカタリココは「トークと朗読の夕べ」と謳っていますが、朗読について語り合った回はあまりなかったような気がします。多和田葉子さんが、「論文でも朗読に耐えるものじゃないとだめだ」とおっしゃっていたのを思いだすくらいでしょうか。

そもそもカタリココを思いついたのは、ドイツで朗読が盛んなことを知り、東京でもやってみようと思ったのがはじまりで、多和田さんにお越しいただいたときもドイツの状況を話していただきましたが、9年間つづけるうちにカタリココが朗読イベントしてはじまったことを忘れかけていました。
10周年のトリを柴田元幸さんに務めていただいたのは、そんなことが頭にあったからです。

柴田さんにはすぐれた翻訳者としての顔がありますが、それだけではなく、CDブック『ナイン・インタビューズ』では欧米の作家にインタビューしてその「声」を集め、トークイベントでは自ら朗読をし、古川日出男さんの朗読劇「銀河鉄道の夜」に出演して活躍するなど、「声」に高い関心を寄せてきました。

欧米の作家はよく、自分の「声」を見つける、という言い方をします。『ナイン・インタビューズ』でも、カズオ・イシグロが、自分の「声」を見つけなければならないと若いころ仲間と言い合ったものだ、でも、「声」が見つかってもそれでずっといけるわけではない、常に新しい「声」を見つけださなければならない、と語ってます。この「声」は日本語だと「文体」に当たるのでしょうが、英語の「文体」には「style」という別の言葉があります。つまり、私たちが「文体」と総称しているもののなかに彼らは「voice」と表現せずにはいられない要素を見いだしているのです。
なぜ「声」なのでしょう。

ひとつは英語の文章が基本的にリーディング・スクリプトだからだ、というお話にうなずきました。欧米の作家は「ちょっと声にだして読んでください」と頼むと、ためらわずにすぐに読むそうですが、たしかに単語をそのまま発音していけば読めます。音読の必然性が高い言語なのです。それに対して日本語の文章は、漢字の読みとか、息継ぎの箇所などの問題があって練習が必要で、声にするのにワンステップあります。

それには、明治以降の文学の「文体」も関係したようです。それらは翻訳文学をお手本にしてつくられてきましたが、「翻訳調」という表現がネガティブな意味で使われてきたように、翻訳文学は言葉遣いが固いというのが相場でした。それが近代の日本文学にも影響し、声にだして読む江戸時代の浄瑠璃のような文学は廃れ、黙読が主流となって言葉の「声」の側面が失われてきたのです。

ここ数年、以前に比べると朗読が盛んになっています。そこには柴田さんの貢献もあるわけですが、「僕も大きな流れのなかのひとりなのです」と彼は述べます。村上春樹さんをはじめとして、音を意識する翻訳者が登場して翻訳文学の文体が変わってきたこと、それに影響されて若い作家の文章が変化したこと、また川上未映子さん、町田康さん、中原昌也さんなど、音楽から小説のほうに入ってきた作家が増えたことなど、言葉の「声」の側面が意識されるようになるつれて、柴田さんの活動も加速されてきたのでした。
「もういまの作家は文体がどうしたとか言わないでしょう?」と柴田さん。
「たしかに。そのうちに日本の小説家も、声が決まらなくて書き出せなかった、なんて言うようになるかもしれないですね」と私。

柴田さんが米文学を選んだのは、米文学を教えている先生がすばらしかったからで、たまたまだそうです。ということは、ここよりよい世界がどこかにあると信じるアメリカ的価値観に惹かれたのではないのですね、と問うと、はっきりと「そうではないです」。日本に生まれて、日本人の親に育てられたことはゆるがないし、自分の場所はここだし、積極的に動きたいとも思わない、「そういう意味ではアメリカ文学はよそ事です」ということばを聞いて、自分が柴田さんを信頼しているわけが腑に落ちました。

つまり、自由と民主主義を信じて理想を求めるアメリカ的価値の啓蒙者ではない、ということです。彼の献身は、作家の「声」を聞き取り日本語にするという翻訳事業に向けられているのであり、その情熱とエネルギーが半端ではないところが、すばらしいのです!10周年の節目に、朗読について、「声」について、翻訳について深く語り合うことができ、初心にもどれたような気がしました。気持ちを新たに、来春から11年目に入ります。(2016.11.24)

今年最後のカタリコ、ゲストは柴田元幸さんです!

◎11月16日(水)
ゲスト柴田元幸(翻訳家)
開催時間:19時開場 19時30分開演
予約開始:10月16日(日)13時よりメールか電話で予約受付(定員40名)
会場:古書ほうろう
東京都文京区千駄木3-25-5 tel.03-3824-3388 horo@yanesen.net

出会いの一冊となった『幽霊たち』。古本屋を始めた頃衝撃を受けた『舞踏会へ向かう三人の農夫』。そして記憶に新しい『遁走状態』。柴田さんのおかげで様々な現代アメリカ文学を知りましたが、近年は古典の新訳に文芸誌の編集もと、一ファンとしてうれしい悲鳴をあげています。大竹さんはそんな柴田さんにどう迫るのか、楽しみです。 (宮地)

柴田元幸(しばたもとゆき)
翻訳家。1954年東京生まれ。大田区六郷育ち。アメリカ文学研究者。翻訳家。東京大学特任教授。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞、トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞を受賞。現代アメリカ文学を精力的に翻訳するかたわら、著書も多数。文芸誌『MONKEY』編集人。趣味は入浴。

荒木経惟さんの写真について考えていること。

新潮いま発売中の『新潮』に「アラーキー」を寄稿しました。はじめてアラキさんについて書いたのは、1994年、「眼の狩人」を『芸術新潮』で連載していたときです。それから22年たった今年、ふたたびアラキさんについて書きたい、という強い思いが湧いてきたのは、パリのギメ東洋美術館で行われた大規模な展覧会を見たからでした。めったにないほどいい展覧会で、これまでわたしのなかに溜まっていたアラキさんの写真への考えや生き方すべてが、どっと溢れ出しました。
西洋の文脈のなかで鑑賞したことも大きかったように思います。日本の写真家が写真にむかう態度に、欧米の写真家のそれとは異なるものを兼ねてから感じとっていましたが、それを象徴しているのがアラキさんの写真。端的に言うと「写真とはエネルギーのやりとりである」という考えに貫かれて、その根本に生命への讃歌があるのです。(2016.10.14)

2016年10月6日、武田花さんをお迎えしたカタリココ

IMG_1725.jpg武田花さんには、以前からカタリココに出ていただきたいと思っていましたが、トークはお嫌いというウワサだし、ここしばらく写真展も開いていないご様子です。そこで、まずは気楽におしゃべりをしませんかと持ちかけたところ、話だけなら、とご返事がきてお会いしたのは昨年の今頃だったと思います。
そのとき、来年に写真集を出されることがわかり、展示をするのにいいチャンスです、とまずは森岡書店銀座店での写真展開催を取り付けました。それからおもむろにカタリココに話題をむけたのですが、断固とした調子で「それはダメです!」とおっしゃるのでちょっとビビリましたが、これも話しているうちに了承してくださいました。やはり、顔を合わせて話すのは大事です。信頼関係を築く第一歩は顔合わせにあり、と改めて痛感した次第。
この機会を待ち望んでいた方は多かったようで、予約開始してすぐに席が埋まりました。

写真をご覧のように、写真展はカラーが中心。モノクロに親しんでいた方は、これが武田花さんの写真?とびっくりされたかもしれません。天気のいいある日、勇んで撮影に出掛けたところ、急に撮るのが嫌になり、もう写真なんて止めてしまおうとまで思い詰め、家に帰ってまずは寝たそうです。これは猫の教えで、悩んだらまず寝る。そして起きてじっくり考えたところ、写真に飽きたのではなく、カメラにモノクロフィルムを詰めて撮り歩く自分に飽きたのだ、おなじことを繰り返すだけで発展性のない自分がモンダイなのだ、と気づきます。それで心機一転してデジカメを購入。その少し前にカメラ雑誌のインタビューで「デジカメは使わないのですか?」と問われて「興味ないです」と即答したというのに、その舌の根も乾かぬうちにデジカメで撮ることに夢中になった自分に呆れつつも、いまはとにかく色に反応するのが面白くてしょうがない。その高揚感が丸ごと二次元の世界に置き換わったような写真展でした。
猫光線_convert_20161011184207
今年に出た写真集『猫光線』は表紙はカラーですし、なかにもカラー写真がたくさん載っています。私はそれをじっくりと拝見したあとに、一冊前の写真集『道端に光線』にもどってみました。「光線」という言葉が同じだなあと思いつつページを捲るうちに、いくつかの写真が色が付いてカラーになって浮かび上がってくるのに気づきました。つまり、このときに花さんはすでに色に反応して撮っていたのですね。つまり、眼はカラーで見ていたのに、フィルムカメラだったからモノクロフィルムに転写されて出てくるしかなく、自分の変化に気づきにくかったのではないでしょうか。デジカメを使ってモニターで確認するようになると、色の魅力が意識化されていきます。

ところで、『猫光線』の表紙写真には前から不思議に思っていたことがあります。真ん中にびっくりした顔の猫が両手を広げて写っているのが、どういうシチュエーションで撮ったのものか、想像がつきませんでした。これはお母さんの武田百合子さんが、飼っていたタマさんを両手で持ち上げたところを撮ったものだそうです。写真には百合子さんの手が写ってますが、友人がそれをエアーブラシで消し、「空飛ぶ猫」になったのでした!

この写真のもうひとつの秘密は猫の額に張られた「光」の文字です。馴染みのある書体のようだけど、なんなのだろうと思っていました。武田家の猫は食事がとても贅沢で、タマさんが食べていたのは一個が十個分に相当するほど値段の張るヨード光卵! それを皿に割ってあげるとき、百合子さんはいつも卵についているシールを猫の額にペタっと張り、猫はそれをつけたまま卵をぺろぺろと舐める、という武田家で習慣化していた儀式を撮った写真なのです。

百合子さんだけでなく、父の泰淳さんの話も出てきました。学校の勉強はできないし、将来の計画もないし、「あの子はバカなんじゃないか」と花さんの行く末に悩んだ泰淳さんが、そのことを友人にぽろっと漏らすと、「それならカメラを買ってやったらどうだ」と助言され、カメラを買うようにとお金をくれたそうです。カメラ屋にいって買ってきたものの当初は興味がわかなかったのが、猫を見てはじめて撮りたいと気持ちが芽生え、それに背中を押されていまにつづく長い道のりがはじまったのでした。
IMG_1735_convert_20161009144243.jpg
自然な流れのなかで写真のこと、猫のこと、百合子さんのこと、泰淳さんのことなどが語られていき、ファンにとってはこの上なくしあわせな機会でした。花さんの「野心のなさ」は、ときに周囲を不安にさせたかもしれませんが、そのつど適切な選択を下して人生を前に押し進めてきたように思えます。長年路上で訓練してきた五感の技と猫の教えがそれを支えてきたのでしょう。
(2016.10.9)

希有な機会に恵まれたカタリココ、武田花さんをお迎えして

IMG_1725.jpg武田花さんには、以前からカタリココに出ていただきたいと思っていましたが、トークはお嫌いというウワサだし、ここしばらく写真展も開いていないご様子です。そこで、まずは気楽におしゃべりをしませんかと持ちかけたところ、話だけなら、とご返事がきてお会いしたのは昨年の今頃だったと思います。
そのとき、来年に写真集を出されることがわかり、展示をするのにいいチャンスです、とまずは森岡書店銀座店での写真展開催を取り付けました。それからおもむろにカタリココに話題をむけたのですが、断固とした調子で「それはダメです!」とおっしゃるのでちょっとビビリましたが、これも話しているうちに了承してくださいました。やはり、顔を合わせて話すのは大事です。信頼関係を築く第一歩は顔合わせにあり、と改めて痛感した次第。
この機会を待ち望んでいた方は多かったようで、予約開始してすぐに席が埋まりました。

写真をご覧のように、写真展はカラーが中心。モノクロに親しんでいた方は、これが武田花さんの写真?とびっくりされたかもしれません。天気のいいある日、勇んで撮影に出掛けたところ、急に撮るのが嫌になり、もう写真なんて止めてしまおうとまで思い詰め、家に帰ってまずは寝たそうです。これは猫の教えで、悩んだらまず寝る。そして起きてじっくり考えたところ、写真に飽きたのではなく、カメラにモノクロフィルムを詰めて撮り歩く自分に飽きたのだ、おなじことを繰り返すだけで発展性のない自分がモンダイなのだ、と気づきます。それで心機一転してデジカメを購入。その少し前にカメラ雑誌のインタビューで「デジカメは使わないのですか?」と問われて「興味ないです」と即答したというのに、その舌の根も乾かぬうちにデジカメで撮ることに夢中になった自分に呆れつつも、いまはとにかく色に反応するのが面白くてしょうがない。その高揚感が丸ごと二次元の世界に置き換わったような写真展でした。
猫光線_convert_20161011184207
今年に出た写真集『猫光線』は表紙はカラーですし、なかにもカラー写真がたくさん載っています。私はそれをじっくりと拝見したあとに、一冊前の写真集『道端に光線』にもどってみました。「光線」という言葉が同じだなあと思いつつページを捲るうちに、いくつかの写真が色が付いてカラーになって浮かび上がってくるのに気づきました。つまり、このときに花さんはすでに色に反応して撮っていたのですね。つまり、眼はカラーで見ていたのに、フィルムカメラだったからモノクロフィルムに転写されて出てくるしかなく、自分の変化に気づきにくかったのではないでしょうか。デジカメを使ってモニターで確認するようになると、色の魅力が意識化されていきます。

ところで、『猫光線』の表紙写真には前から不思議に思っていたことがあります。真ん中にびっくりした顔の猫が両手を広げて写っているのが、どういうシチュエーションで撮ったのものか、想像がつきませんでした。これはお母さんの武田百合子さんが、飼っていたタマさんを両手で持ち上げたところを撮ったものだそうです。写真には百合子さんの手が写ってますが、友人がそれをエアーブラシで消し、「空飛ぶ猫」になったのでした!

この写真のもうひとつの秘密は猫の額に張られた「光」の文字です。馴染みのある書体のようだけど、なんなのだろうと思っていました。武田家の猫は食事がとても贅沢で、タマさんが食べていたのは一個が十個分に相当するほど値段の張るヨード光卵! それを皿に割ってあげるとき、百合子さんはいつも卵についているシールを猫の額にペタっと張り、猫はそれをつけたまま卵をぺろぺろと舐める、という武田家で習慣化していた儀式を撮った写真なのです。

百合子さんだけでなく、父の泰淳さんの話も出てきました。学校の勉強はできないし、将来の計画もないし、「あの子はバカなんじゃないか」と花さんの行く末に悩んだ泰淳さんが、そのことを友人にぽろっと漏らすと、「それならカメラを買ってやったらどうだ」と助言され、カメラを買うようにとお金をくれたそうです。カメラ屋にいって買ってきたものの当初は興味がわかなかったのが、猫を見てはじめて撮りたいと気持ちが芽生え、それに背中を押されていまにつづく長い道のりがはじまったのでした。
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自然な流れのなかで写真のこと、猫のこと、百合子さんのこと、泰淳さんのことなどが語られていき、ファンにとってはこの上なくしあわせな機会でした。花さんの「野心のなさ」は、ときに周囲を不安にさせたかもしれませんが、そのつど適切な選択を下して人生を前に押し進めてきたように思えます。長年路上で訓練してきた五感の技と猫の教えがそれを支えてきたのでしょう。
(2016.10.9)

第11回「間取りと妄想」が公開されました。

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西側の一部が二層になった、断面がL字を右に倒したような形をしている家が舞台です。西側の崖っぷちにある階下の部屋は、以前は叔父の勉強部屋でしたが、下りてみるとそこは……というとミステリーじみてますが、ちょっとその要素アリの短篇をお楽しみください!→あき地(2016.9.26)