大竹昭子のカタリココ

朗読イベント〈カタリココ〉&トークイベントのお知らせと「日々雑記」

〈カタリココ〉はトークと朗読のイベントです。
「語り」と「ここ」を合わせて〈カタリココ〉。
都内の四つの古書店を会場に、ゲストとトークしながらそれぞれの著書を朗読します。

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〈カタリココ〉〈カフェ・カタリココ〉以外の書店のイベント、写真のレクチャー、
シンポジウムなどについてご案内いたします。
写真:「西荻ブックマーク」主催の写真レクチャー&トーク

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大竹昭子(おおたけ・あきこ)
ノンフィクション、エッセイ、小説、写真評論など、ジャンルを横断して執筆。2007年にトークと朗読の会〈カタリココ〉をはじめる。また2011年3月に東日本大震災後、詩人や作家にことばをもちより朗読してもらう「ことばのポトラック」をスタート、現在も渋谷・サラヴァ東京にて継続中。 著作リストtwitter

[web連載]ときの忘れもの「迷走写真館」, 紀伊國屋書店「書評空間」, 月曜社「森山大道のon the road」, 草森紳一記念館「白玉楼中の人」

おしらせ&雑記

2019年9月21日、諏訪敦さんのカタリココ

IMG_1695_convert_20191004155001.jpg 美術館のコレクション展で、あ、写真だと思って近寄っていったら、あるところまで来たとき、それは写真ではなくて絵画だと気づいたことがありました。まだマチエールも筆跡もわからないほど距離が離れていたにもかかわらず、そうとわかったのが不思議で、以来、なによってそう感じたのだろうと写実絵画のことを考えはじめました。
 また写実画を描く人にも興味をひかれました。写真がこれだけ一般化している時代に、長い時間をかけて現実とそっくりに描こうとするそのパッションは、いったい何に因るのか、そもそも目で見ることのできるものをそれに近づけて描きたいという欲求を人はなぜ抱くのだろうとも思いました。
 そのような次第で諏訪敦さんとトークできるのを楽しみにしていました。なんといっても彼は私がはじめて接する写実画家ですから!
 子ども時代のことが想像できないと、その人の中に入っていけない気がして、小さいときのことから話を伺うのがわたしのスタイルですが、諏訪さんの場合は絵が好きという以上に、絵が簡単に描けてしまう少年だったようです。石膏デッサンではふつう中心軸を描いて部分をバランスよく配置してから描き込んでいきますが、彼はその作業をせずにまるでスキャンするように頭部から順に描けてしまえたそうなのです。つまり、眼が見たものを克明に記憶できてしまうわけで、それは一部の音楽家に与えられた絶対音感ようなものだったのかもしれません。
 でも、そうした能力をどのように使いこなすかはまた別の問題です。美大に進学したのは、教室に座って授業を聴くという高校の延長のような生活に辟易していたから。で、美大に入学してどうだったかと言うと、遊んでばっかりだったという答えが返ってきてちょっと面食らいました。諏訪さんの絵はものすごく勉強して技術を習得した人の絵に見えますから、遊びとは無縁の学生時代のように思えたのです。
 当時の美術界はさまざまなメディアを駆使した現代美術が主流でした。キャンバスにむかって絵筆をふるう人はガラパゴス的存在で、院展にでもだすの?なんてまわりに皮肉られたそうですが、それでも彼は絵だけを描き続け、卒業後は建築会社に就職、途中で2年休職してスペインに留学したとき、明治以来、多くの画家が体験してきた「日本人とはなにか」という問いにぶち当たったのです。
 「日本人」の実体とはつきつめれば身体ではないか、そう思いついたとき、彼の頭に浮かんできたのは舞踏家の大野一雄氏のことでした。大野さんの踊りを見て、著作を読んで、故郷の函館を訪ねて、古い地図を片手に彼の伝記的事実を街のなかに探し訪ねる作業をします。こういうことは物書きはしますけれど、画家がそこまでやるというのはあまり聞いたことがありません。調べられることはすべて調べようと腕まくりしたこの時期のことを彼は「とても楽しかった」と振り返りました。
 その後、大野氏に紹介してくれる方がいて、彼を描かせてもらえることになり、諏訪さんは高齢の舞踏家の体をなめるように観察し、絵にする行為に没頭します。遠慮のない視線に家族の方が怒りだすのではないかとびくびくしながらも、止められず、両眼をスキャナーのようにして皺のよった老体に這わせたのです。きっとリサーチ中に溜めこんエネルギーが両目から噴出してくるような勢いと凄みが感じられたことでしょう。
 カメラアイはフォーカスした一点だけに焦点が合う仕組みで、一枚の写真に写っている要素すべてに等しくピントが合うということはあり得ません。でも、人間がものを見るときは、見ている瞬間ごとにピントを合わせ、その映像的記憶を集合させて一枚の絵をつくりあげます。カメラアイではあり得ないことが、ひとつの平面上に実現されている。絵画世界の不思議さはそこにあるです。IMG_1731_convert_20191004154845.jpg
 ここまでお話を伺ったところで、2時間近くがたちました。まだ序論なのに、時間が来てしまい、そこでつづきを話す機会をまた設けることにし、ひとまず1回目はこれにて終了いたしました。
 以前、写真家の畠山直哉さんと話したときのことが、そのとき脳裏によみがえってきました。写真美術館の展示でトークし、カタリココにそれをつなげ、さらに「ことばのポトラック」でも話を重ね、それでも足らずに彼のアトリエで対話をつづけて生まれたのが、『出来事と写真』という一冊だったのです。厳密に話せば話すほど深まっていくところに対話の醍醐味があると改めて実感した一夜でした。(2019.10.4)







9/21、諏訪敦さんをお迎えしたカタリココのご報告です。

IMG_1695_convert_20191004155001.jpg 美術館のコレクション展で、あ、写真だと思って近寄っていったら、あるところまで来たとき、それは写真ではなくて絵画だと気づいたことがありました。まだマチエールも筆跡もわからないほど距離が離れていたにもかかわらず、そうとわかったのが不思議で、以来、なによってそう感じたのだろうと写実絵画のことを考えはじめました。
 また写実画を描く人にも興味をひかれました。写真がこれだけ一般化している時代に、長い時間をかけて現実とそっくりに描こうとするそのパッションは、いったい何に因るのか、そもそも目で見ることのできるものをそれに近づけて描きたいという欲求を人はなぜ抱くのだろうとも思いました。
 そのような次第で諏訪敦さんとトークできるのを楽しみにしていました。なんといっても彼は私がはじめて接する写実画家ですから!
 子ども時代のことが想像できないと、その人の中に入っていけない気がして、小さいときのことから話を伺うのがわたしのスタイルですが、諏訪さんの場合は絵が好きという以上に、絵が簡単に描けてしまう少年だったようです。石膏デッサンではふつう中心軸を描いて部分をバランスよく配置してから描き込んでいきますが、彼はその作業をせずにまるでスキャンするように頭部から順に描けてしまえたそうなのです。つまり、眼が見たものを克明に記憶できてしまうわけで、それは一部の音楽家に与えられた絶対音感ようなものだったのかもしれません。
 でも、そうした能力をどのように使いこなすかはまた別の問題です。美大に進学したのは、教室に座って授業を聴くという高校の延長のような生活に辟易していたから。で、美大に入学してどうだったかと言うと、遊んでばっかりだったという答えが返ってきてちょっと面食らいました。諏訪さんの絵はものすごく勉強して技術を習得した人の絵に見えますから、遊びとは無縁の学生時代のように思えたのです。
 当時の美術界はさまざまなメディアを駆使した現代美術が主流でした。キャンバスにむかって絵筆をふるう人はガラパゴス的存在で、院展にでもだすの?なんてまわりに皮肉られたそうですが、それでも彼は絵だけを描き続け、卒業後は建築会社に就職、途中で2年休職してスペインに留学したとき、明治以来、多くの画家が体験してきた「日本人とはなにか」という問いにぶち当たったのです。
 「日本人」の実体とはつきつめれば身体ではないか、そう思いついたとき、彼の頭に浮かんできたのは舞踏家の大野一雄氏のことでした。大野さんの踊りを見て、著作を読んで、故郷の函館を訪ねて、古い地図を片手に彼の伝記的事実を街のなかに探し訪ねる作業をします。こういうことは物書きはしますけれど、画家がそこまでやるというのはあまり聞いたことがありません。調べられることはすべて調べようと腕まくりしたこの時期のことを彼は「とても楽しかった」と振り返りました。
 その後、大野氏に紹介してくれる方がいて、彼を描かせてもらえることになり、諏訪さんは高齢の舞踏家の体をなめるように観察し、絵にする行為に没頭します。遠慮のない視線に家族の方が怒りだすのではないかとびくびくしながらも、止められず、両眼をスキャナーのようにして皺のよった老体に這わせたのです。きっとリサーチ中に溜めこんエネルギーが両目から噴出してくるような勢いと凄みが感じられたことでしょう。
 カメラアイはフォーカスした一点だけに焦点が合う仕組みで、一枚の写真に写っている要素すべてに等しくピントが合うということはあり得ません。でも、人間がものを見るときは、見ている瞬間ごとにピントを合わせ、その映像的記憶を集合させて一枚の絵をつくりあげます。カメラアイではあり得ないことが、ひとつの平面上に実現されている。絵画世界の不思議さはそこにあるです。IMG_1731_convert_20191004154845.jpg
 ここまでお話を伺ったところで、2時間近くがたちました。まだ序論なのに、時間が来てしまい、そこでつづきを話す機会をまた設けることにし、ひとまず1回目はこれにて終了いたしました。
 以前、写真家の畠山直哉さんと話したときのことが、そのとき脳裏によみがえってきました。写真美術館の展示でトークし、カタリココにそれをつなげ、さらに「ことばのポトラック」でも話を重ね、それでも足らずに彼のアトリエで対話をつづけて生まれたのが、『出来事と写真』という一冊だったのです。厳密に話せば話すほど深まっていくところに対話の醍醐味があると改めて実感した一夜でした。(2019.10.4)







<カタリココ文庫>創刊号は以下のお店で買えます!

<沖縄> 
市場の古本屋 ウララ(那覇)
宮里小書店(那覇)

<九州>
ブックスキューブリック けやき通り店(福岡)
本のあるところajiro(福岡)
Minou Books(吉井町)


<中国>
READIN DEAT(広島):
ろばの本屋(長門)
汽水空港(鳥取)

<関西>
花森書林(神戸)
Storage Books(神戸)
casimasi(宝塚)
FOLK old book store(大阪)
blackbird books(大阪)
スタンダードブックストア(大阪)
長谷川書店(大阪)
toi books (大阪)
「本」のお店スタントン(大阪)
ぽんつく洞(大阪)
ホホホ座(大阪・枚方)
恵文社一乗店(京都)
誠光社(京都)
nowaki(京都)

<中部>
シマウマ書房(名古屋)
ONREADING(名古屋)
ブックスはせがわ(新潟・長岡)

<東京>
ブックギャラリーポポタム(目白)
古書ほうろう(池之端)
ボヘミアンズギルド(神田神保町)
青いカバ(駒込)
title(荻窪)
本屋B&B(下北沢)
音羽館(西荻窪)*売り切れ
SPBS 神山町(渋谷)
オントエンリズム(阿佐谷)
Amleeron ( 高円寺)
パラボリカ・ビス(柳橋)
かもめブックス(神楽坂)
古書ますく堂(池袋)

<関東>
bullock books(栃木県矢板市)
Rebel Books (群馬県高崎市)

<東北>
くものす洞(石巻)
BOOKNERD(盛岡)

<北海道>
アダノンキ(札幌)

9/12にスリバチ学会の皆川典久さんと、東京凸凹散歩トークをします!

9784750515946-204x300.jpg東京の起伏に富んだ地形を「スリバチ」と名付けて、10年以上の長きにわたって活動してこられたスリバチ学会会長、皆川典久さん。どうやれば東京の地形をトレースできるか、歩行の愉しみを満喫できるかを皆川さんと語り合います。

前半では東京の凸凹のポイントをおさえ、後半は具体的にトーク会場の下北沢周辺の地形を見ていきます。ふだんはお店に気を取られてわからなかったシモキタの起伏が、全身に染み渡ってくるでしょう。

面的な広がりでも、起伏の多さでも、東京ほど街歩きの愉しさに満ちた都市はないはずです。少しばかり想像力を傾ければ、驚くほど魅力が深まっていくのです。歩きたいけれど、どこを歩いたらいいかわからない、おもしろがり方がわからない、地形図を見ても地形がアタマにはいっていかない、という方、必見です!

当日、参加者の方には「シモキタ散歩地図」(自家製)をさしあげます。
次の週末にはきっと靴を鳴らして歩きたくなるでしょう!(2019.8.29)

日時 9月12日(木)20時〜
予約は 本屋B&B へ。

<カタリココ文庫>を出版! 創刊号は『高野文子「私」のバラけ方』です。

IMG_1525_convert_20190826150012.jpgカタリココは、そこにいらした方だけが聴くことのできる1回かぎりの出来事で充分だとこれまで思ってきましたが、昨年、美術家の福田尚代さんとのトークが、彼女の所属する小出由紀子事務所の尽力により冊子になったのをきっかけに、考えが変わりました。文字起こしと再構成の作業がことのほかおもしろかったのと、文字で読める言葉にすることで、話した内容が自分のなかに深く定着するように感じられたのです。トークでは場の熱はよく伝わりますが、語られた言葉を反芻したいときにはもどかしく、カタリココも13年目に入ったいま、出版にふみだしてもいいかもしれないと思いました。
 創刊号では、申し込み者多数だったにもかかわらず、30名しか聞けなかった2015年11月の高野文子さんとのトークを載せることにしました。内容を再構成して高野さんとも何度もやりとりしながら最終稿をつくり、加えて高野さんに近況をインタビューして収録しました。わたしは漫画界にはうといですが、それがゆえに、漫画という表現メディアについてこれまで高野さんの口から語られてこなかったことが伺えたように思います。
_convert_20190826150751.jpgoff_talk_convert_20190826151337.jpg
現在はカタリココ開催店でのみ扱っていますが、徐々に注文をとって広げていこうと思います。
お店で販売してみたいという方はinfo@katarikoko.comにご連絡ください。
個人のご注文はブックギャラリーポポタムのオンラインストアをご利用ください。
文庫サイズ、図版入り、背表紙つき、38ページ。
1冊700円




須賀敦子さんの生まれ故郷で写真展をいたします!

いよいよだなあという気持ちです。
長いことずっと、いつか須賀さんの故郷でできたら、と思ってきましたから!
展覧会場は、旧海文堂書店のオーナー島田誠さんが主宰するギャラリー島田
初日には、須賀さんと親しかったイタリア文学者の武谷なおみさんとトークします(2019.8.19)。
期間:9/7(土)~9/12(木)
トークショー:9/7(土)16:00〜 1000円 要予約   

次回のカタリココのゲストは画家の諏訪敦さん、予約開始は8/21です!

諏訪敦さんがトークに出られるのはめったにないことです。
彼の作品が展示された空間でお話をするという貴重な機会をお見逃しなく!
定員20名ですぐに埋まってしまいそうですので、参加ご希望の方はいまから手帳にマークしてください。
以下は森岡書店の森岡さんからのコメントです。

「写真ついて独自の評論を行う大竹昭子さんが、諏訪敦さんの絵画をどのように「視る」かに関心があります。また、諏訪さんは『芸術新潮』にて書評の連載を担当し、大竹さんは朝日新聞書評委員の経験があるなど、お二人とも精力的に書評を書かれています。この時代に本を読む意義、或いは「視る」ことへの影響などもお聞きできたらと考えています。(森岡)

◎日時 9月21日(土) 19時開場/19時30分開演
予約開始 8月21日(水)13時より電話予約
ゲスト  諏訪敦(画家)
定員   20名
会場    銀座・森岡書店
   電話 03-3535-5020
FB  http://facebook.com/yoshiyuki.morioka.7

◎諏訪敦(すわあつし)プロフィール
1967年北海道に生まれる。武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。同大学大学院修士課程修了。同大学教授。画家。1994年文化庁芸術家派遣在外研修員に推挙、2年間スペインに渡る。2014年絵画作品集『Blue』を青幻舎より刊行。

『東京凸凹散歩』についてラジオ番組「マイあさ!」でお話しました!

この番組を聴いた友人から、いつもは無愛想なのに、番組だとずいぶんサービス精神旺盛だねえ、と言われちゃいました。
否定しません……。たしかにそう。電話でマニュアルぽい応対をされると無愛想を超えて不機嫌な話し方になるというのに、マイクを前にすると性格が変わり、「それでは、行きます!」とキューが出たとたんに、陽気な気分になります。
テレビは公衆にむかって、ラジオは個人にむかってしゃべるもの、とどなたかが言っておられるそうですが、見えない相手に声だけで語りかける感じがたまらない……。→NHK番組「マイあさ!」(2019.8.2)

8月の迷走写真館はこの写真です!

_convert_20190801161921.png冬枯れの木々の下にたつ4人の女性たち。ぜんいんが顔を前にむけて同じ方向に見入りつつ、来るべきものを待っている様子ですが、それがなにかを写真が説明していないゆえに、ドラマでもはじまりそうな予感を与えます。(2019.8.1)→ギャラリーときの忘れもの