大竹昭子のカタリココ

朗読イベント〈カタリココ〉&トークイベントのお知らせと「日々雑記」

〈カタリココ〉はトークと朗読のイベントです。
「語り」と「ここ」を合わせて〈カタリココ〉。
都内の四つの古書店を会場に、ゲストとトークしながらそれぞれの著書を朗読します。

これからのカタリココこれまでのカタリココ カタリココ・レヴュー

〈カタリココ〉〈カフェ・カタリココ〉以外の書店のイベント、写真のレクチャー、
シンポジウムなどについてご案内いたします。
写真:「西荻ブックマーク」主催の写真レクチャー&トーク

その他のイベント

大竹昭子(おおたけ・あきこ)
ノンフィクション、エッセイ、小説、写真評論など、ジャンルを横断して執筆。2007年にトークと朗読の会〈カタリココ〉をはじめる。また2011年3月に東日本大震災後、詩人や作家にことばをもちより朗読してもらう「ことばのポトラック」をスタート、現在も渋谷・サラヴァ東京にて継続中。 著作リストtwitter

[web連載]ときの忘れもの「迷走写真館」, 紀伊國屋書店「書評空間」, 月曜社「森山大道のon the road」, 草森紳一記念館「白玉楼中の人」

おしらせ&雑記

12/16に今年最後のトークショー「難民とつくる未来」を開催!

 気がつかないうちに暦が薄くなって最後の一枚になりました。仕事やイベントもひとつ、またひとつと終わっていき、16日には年内最後のトークショー「難民とつくる未来」がおこなわれます。
 2019年は「難民」という言葉をたくさん目にした年でしたが、日本にも難民の人たちがいるのを私が知ったのは、おなじマンションに住むアメリカ人のアレックスを通じてでした。彼の部屋にアフリカ人とおぼしき人たちが入れ替わりに住んでいるようなので、不思議に思い聞いてみたところ、難民の人たちを泊めているとわかったのです。多いときには10人以上が、彼の狭い部屋にメザシのように並び、真夏は屋上でも寝ています。9784991084201-326x480.jpg
 そんな私の難民への関心が、人のつながりに発展して、今回のトークショーが成立いたしました。おふたりの方に登壇いただきます。ひとりはオックスフォード大学で難民研究をしている小俣直彦さん。彼は今年の6月、『アフリカの難民キャンプで暮らす』という本を出されました。難民キャンプの暮らしぶりがつぶさに描かれたとても貴重な内容でした。
もうひとりは、難民と暮らし、働き、語りあう社会を日本に実現するためにWELgeeというNPOをつくり、活動をしている渡部清花さん。まだ20代の若手です。
 小俣さんにはアフリカの状況を体験に即して語っていただき、渡部さんにはその彼らを日本に受け入れている試みについてお話いただきます。モデレーターは私が務めます。おふたりが顔合わせするのはめったにないことだし、アフリカと日本がつながり、難民の存在が親しいものになるすばらしい企画、と自画自賛していますので、どうぞお見逃しなく!

2019年12月16日19時〜20時半
八重洲ブックセンター8階 参加費 1500円
予約:https://www.yaesu-book.co.jp/events/talk/17350/

2019年11月11日、小山田浩子さんとのカタリココ

P1030216_convert_20191119175537.jpg 小山田浩子さんが新潮新人賞を受賞し、デビュー作『工場』をだされたとき、これまでの日本の小説とだいぶちがう印象をもちました。ちょっとした街以上の巨大サイズの工場が舞台なのですが、その工場の全体像は描かれず、登場人物が目にするものがひたすら細く描写されていきます。とても具体的なのに、映像化できず、かといってSF的というのともちがい、身近な感じがある、いままで読んだことのないタイプの作品だったのです。
 そのあとにつづく『穴』『庭』ではその傾向がより深まり、ごく日常的な空間がだんだんと異界に転じていくさまが描かれました。でも、頭で筋立てを考えて書いている様子はまるでなく、書き手が世界を感じ取っているままを忠実に再現しているようなところが独特だと思いました。
「異界を描こうというつもりはないんです」と小山田さん。小学校のころから、周りの状況をつかむのがへたで、気がついたらひとり取り残されているということが多く、そういうときは目に入るものをひたすら見つめているしかなく、そのリアリティーが創作の出発点になっています。これまでの作品がすべて一人称で書かれているのも、それで納得です。三人称で書くには状況を俯瞰しなければなりませんが、そういう視点で世界を眺め渡した経験がなく、わけのわからない外界と自分という関係性のなかにずっと住んできたのでした。
 改行はごく少なく、ページはべったりと文字で埋め尽くされていますが、考えてみれば「改行」とは、言葉の連なりを俯瞰して間をあける、いわば言葉の間取りをつくるような行為です。間取り図が描けなければ、ひとつの空間がずっとつながっていくにちがいなく、改行は「しない」のではなく「できない」のです。
 今回作品を再読していて、もうひとつ気づいたことがあります。「息を吐く」というフレーズがとても多いのです。話の展開として特に必要はなくても、「息を吐く」と一言が入っています。そう伝えると、「気がつきませんでした!」と小山田さん。きっとそこは彼女自身が書きながら息を吐いた場所なのでしょう。改行しないと文字から眼を上げることがなく、息を詰めて書くことになりますから、どこかでその息を抜く必要があるのです。書くペースは速く、『庭』に入っている短編はほとんど一日で書いているそうです。書き上げてみないと作品になっているかどうかわからいので、成立していないと自己判断してボツにするものも多いそうですが、長いものは400字60枚くらいあるので、相当なハイスピードなのは間違いなく、その間、ずっと息を詰めたら大変です!
 視線が強いだけでなく、それがあらゆるものに等価に注がれている。これも彼女の作品の特徴と言えるでしょう。「母親」であれ、「目の前の草」であれ、距離が同じなのです。日常生活ではこういうことはありえません。重要性や緊急性や思い入れの度合いにより強弱を付けて見るのがふつうですが、彼女の作品はそうではなく、目に映る事柄が通常の意味を脱っして世界を構成するパーツとして並列化しています。以前、恋愛小説に挑戦し、自分ではなかなかいいものができたと思って編集者に見せたら、これ恐いですねえ、と言われて驚いたそうですが、いかにも小山田さんらしいエピソードだと爆笑しました!現実世界は見方をひとつかえるとホラーになります。私たちが意味や価値にしがみついて暮らしているのも、その恐れを無意識のうちに感じとっているからでしょう。
 薄氷のようにうすっぺらで壊れやすいものが幾重にも重なった日常の層を、ピンセットでつまむように剝がしていくとその先にどんな光景が現れるのか。小山田さんの作品はこれまでも、そしてこれからも、そんな読者の期待に応えてくれるはずです。『工場』が英語に翻訳出版され、来週からトークイベントのためにニューヨークに行くとおっしゃっていたので、今ごろはあの街で朗読していらっしゃるかもしれません。彼女の「日本人離れ」した作品がむこうでどう受け止められるか楽しみです。(2019.11.21)

本年最後のカタリココは11月11日、広島から小説家の小山田浩子さんをお迎えいたしました。

P1030216_convert_20191119175537.jpg 小山田浩子さんが新潮新人賞を受賞し、デビュー作『工場』をだされたとき、これまでの日本の小説とだいぶちがう印象をもちました。ちょっとした街以上の巨大サイズの工場が舞台なのですが、その工場の全体像は描かれず、登場人物が目にするものがひたすら細く描写されていきます。とても具体的なのに、映像化できず、かといってSF的というのともちがい、身近な感じがある、いままで読んだことのないタイプの作品だったのです。
 そのあとにつづく『穴』『庭』ではその傾向がより深まり、ごく日常的な空間がだんだんと異界に転じていくさまが描かれました。でも、頭で筋立てを考えて書いている様子はまるでなく、書き手が世界を感じ取っているままを忠実に再現しているようなところが独特だと思いました。
「異界を描こうというつもりはないんです」と小山田さん。小学校のころから、周りの状況をつかむのがへたで、気がついたらひとり取り残されているということが多く、そういうときは目に入るものをひたすら見つめているしかなく、そのリアリティーが創作の出発点になっています。これまでの作品がすべて一人称で書かれているのも、それで納得です。三人称で書くには状況を俯瞰しなければなりませんが、そういう視点で世界を眺め渡した経験がなく、わけのわからない外界と自分という関係性のなかにずっと住んできたのでした。
 改行はごく少なく、ページはべったりと文字で埋め尽くされていますが、考えてみれば「改行」とは、言葉の連なりを俯瞰して間をあける、いわば言葉の間取りをつくるような行為です。間取り図が描けなければ、ひとつの空間がずっとつながっていくにちがいなく、改行は「しない」のではなく「できない」のです。
 今回作品を再読していて、もうひとつ気づいたことがあります。「息を吐く」というフレーズがとても多いのです。話の展開として特に必要はなくても、「息を吐く」と一言が入っています。そう伝えると、「気がつきませんでした!」と小山田さん。きっとそこは彼女自身が書きながら息を吐いた場所なのでしょう。改行しないと文字から眼を上げることがなく、息を詰めて書くことになりますから、どこかでその息を抜く必要があるのです。書くペースは速く、『庭』に入っている短編はほとんど一日で書いているそうです。書き上げてみないと作品になっているかどうかわからいので、成立していないと自己判断してボツにするものも多いそうですが、長いものは400字60枚くらいあるので、相当なハイスピードなのは間違いなく、その間、ずっと息を詰めたら大変です!
 視線が強いだけでなく、それがあらゆるものに等価に注がれている。これも彼女の作品の特徴と言えるでしょう。「母親」であれ、「目の前の草」であれ、距離が同じなのです。日常生活ではこういうことはありえません。重要性や緊急性や思い入れの度合いにより強弱を付けて見るのがふつうですが、彼女の作品はそうではなく、目に映る事柄が通常の意味を脱っして世界を構成するパーツとして並列化しています。以前、恋愛小説に挑戦し、自分ではなかなかいいものができたと思って編集者に見せたら、これ恐いですねえ、と言われて驚いたそうですが、いかにも小山田さんらしいエピソードだと爆笑しました!現実世界は見方をひとつかえるとホラーになります。私たちが意味や価値にしがみついて暮らしているのも、その恐れを無意識のうちに感じとっているからでしょう。
 薄氷のようにうすっぺらで壊れやすいものが幾重にも重なった日常の層を、ピンセットでつまむように剝がしていくとその先にどんな光景が現れるのか。小山田さんの作品はこれまでも、そしてこれからも、そんな読者の期待に応えてくれるはずです。『工場』が英語に翻訳出版され、来週からトークイベントのためにニューヨークに行くとおっしゃっていたので、今ごろはあの街で朗読していらっしゃるかもしれません。彼女の「日本人離れ」した作品がむこうでどう受け止められるか楽しみです。(2019.11.21)

11月の「迷走写真館」はこの写真です。

78966b91-s.jpg少女の恍惚とした表情に惹かれました。なんだかとても楽しそうです。
スカートになにか付いているようですが、これはなに? 
後ろの棚に並んでいる壺やポットが、どこか異国の雰囲気をもたらしています。→ギャラリーときの忘れもの

10月はお伝えするのを忘れたので、ついでにそちらもどうぞ。→ギャラリーときの忘れもの

11/11のカタリココは作家の小山田浩子さんをお迎えいたします!

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小山田浩子さんがこれまで書かれた小説集は3冊、と多くはないですけれども、密度の濃さは10冊分くらいあります!『工場』が出たとき、どんな作家の作品とも異なる味わいに驚いたものです。だれに似ている、とかあの人に近い、とか言えない、唯一無二の存在を感じたのです。
いつかカタリココにお呼びしたいと思っていたところ、昨年の滝口悠生さんのカタリココのとき、小山田さんは折りよく上京中で来てくださり、初対面しました。さっそく来年のご出演をお願いした次第です。
予約はすでにはじまってますが、会場の古書ほうろうさんによれば、みなさんネットではなくお店にきて予約し、その際に小山田さんの本を買っていらしゃる方が多いそうです。きっと、この機会に小山田さんの小説を読もう、いよいよその時だ! と思ってくださっているのではないでしょうか。残席はわずかですので、同じように思っている方、お早めにご来店ください(もちろん、ネット予約もOK!)。(2019.10.24)

日時 2019年11月11日(月)19時30分〜
会場 池之端・古書ほうろう
会費 1800円
予約 電話かメール 03-3824-3388 koshohoro@gmail.com

2019年9月21日、諏訪敦さんのカタリココ

IMG_1695_convert_20191004155001.jpg 美術館のコレクション展で、あ、写真だと思って近寄っていったら、あるところまで来たとき、それは写真ではなくて絵画だと気づいたことがありました。まだマチエールも筆跡もわからないほど距離が離れていたにもかかわらず、そうとわかったのが不思議で、以来、なによってそう感じたのだろうと写実絵画のことを考えはじめました。
 また写実画を描く人にも興味をひかれました。写真がこれだけ一般化している時代に、長い時間をかけて現実とそっくりに描こうとするそのパッションは、いったい何に因るのか、そもそも目で見ることのできるものをそれに近づけて描きたいという欲求を人はなぜ抱くのだろうとも思いました。
 そのような次第で諏訪敦さんとトークできるのを楽しみにしていました。なんといっても彼は私がはじめて接する写実画家ですから!
 子ども時代のことが想像できないと、その人の中に入っていけない気がして、小さいときのことから話を伺うのがわたしのスタイルですが、諏訪さんの場合は絵が好きという以上に、絵が簡単に描けてしまう少年だったようです。石膏デッサンではふつう中心軸を描いて部分をバランスよく配置してから描き込んでいきますが、彼はその作業をせずにまるでスキャンするように頭部から順に描けてしまえたそうなのです。つまり、眼が見たものを克明に記憶できてしまうわけで、それは一部の音楽家に与えられた絶対音感ようなものだったのかもしれません。
 でも、そうした能力をどのように使いこなすかはまた別の問題です。美大に進学したのは、教室に座って授業を聴くという高校の延長のような生活に辟易していたから。で、美大に入学してどうだったかと言うと、遊んでばっかりだったという答えが返ってきてちょっと面食らいました。諏訪さんの絵はものすごく勉強して技術を習得した人の絵に見えますから、遊びとは無縁の学生時代のように思えたのです。
 当時の美術界はさまざまなメディアを駆使した現代美術が主流でした。キャンバスにむかって絵筆をふるう人はガラパゴス的存在で、院展にでもだすの?なんてまわりに皮肉られたそうですが、それでも彼は絵だけを描き続け、卒業後は建築会社に就職、途中で2年休職してスペインに留学したとき、明治以来、多くの画家が体験してきた「日本人とはなにか」という問いにぶち当たったのです。
 「日本人」の実体とはつきつめれば身体ではないか、そう思いついたとき、彼の頭に浮かんできたのは舞踏家の大野一雄氏のことでした。大野さんの踊りを見て、著作を読んで、故郷の函館を訪ねて、古い地図を片手に彼の伝記的事実を街のなかに探し訪ねる作業をします。こういうことは物書きはしますけれど、画家がそこまでやるというのはあまり聞いたことがありません。調べられることはすべて調べようと腕まくりしたこの時期のことを彼は「とても楽しかった」と振り返りました。
 その後、大野氏に紹介してくれる方がいて、彼を描かせてもらえることになり、諏訪さんは高齢の舞踏家の体をなめるように観察し、絵にする行為に没頭します。遠慮のない視線に家族の方が怒りだすのではないかとびくびくしながらも、止められず、両眼をスキャナーのようにして皺のよった老体に這わせたのです。きっとリサーチ中に溜めこんエネルギーが両目から噴出してくるような勢いと凄みが感じられたことでしょう。
 カメラアイはフォーカスした一点だけに焦点が合う仕組みで、一枚の写真に写っている要素すべてに等しくピントが合うということはあり得ません。でも、人間がものを見るときは、見ている瞬間ごとにピントを合わせ、その映像的記憶を集合させて一枚の絵をつくりあげます。カメラアイではあり得ないことが、ひとつの平面上に実現されている。絵画世界の不思議さはそこにあるです。IMG_1731_convert_20191004154845.jpg
 ここまでお話を伺ったところで、2時間近くがたちました。まだ序論なのに、時間が来てしまい、そこでつづきを話す機会をまた設けることにし、ひとまず1回目はこれにて終了いたしました。
 以前、写真家の畠山直哉さんと話したときのことが、そのとき脳裏によみがえってきました。写真美術館の展示でトークし、カタリココにそれをつなげ、さらに「ことばのポトラック」でも話を重ね、それでも足らずに彼のアトリエで対話をつづけて生まれたのが、『出来事と写真』という一冊だったのです。厳密に話せば話すほど深まっていくところに対話の醍醐味があると改めて実感した一夜でした。(2019.10.4)







9/21、諏訪敦さんをお迎えしたカタリココのご報告です。

IMG_1695_convert_20191004155001.jpg 美術館のコレクション展で、あ、写真だと思って近寄っていったら、あるところまで来たとき、それは写真ではなくて絵画だと気づいたことがありました。まだマチエールも筆跡もわからないほど距離が離れていたにもかかわらず、そうとわかったのが不思議で、以来、なによってそう感じたのだろうと写実絵画のことを考えはじめました。
 また写実画を描く人にも興味をひかれました。写真がこれだけ一般化している時代に、長い時間をかけて現実とそっくりに描こうとするそのパッションは、いったい何に因るのか、そもそも目で見ることのできるものをそれに近づけて描きたいという欲求を人はなぜ抱くのだろうとも思いました。
 そのような次第で諏訪敦さんとトークできるのを楽しみにしていました。なんといっても彼は私がはじめて接する写実画家ですから!
 子ども時代のことが想像できないと、その人の中に入っていけない気がして、小さいときのことから話を伺うのがわたしのスタイルですが、諏訪さんの場合は絵が好きという以上に、絵が簡単に描けてしまう少年だったようです。石膏デッサンではふつう中心軸を描いて部分をバランスよく配置してから描き込んでいきますが、彼はその作業をせずにまるでスキャンするように頭部から順に描けてしまえたそうなのです。つまり、眼が見たものを克明に記憶できてしまうわけで、それは一部の音楽家に与えられた絶対音感ようなものだったのかもしれません。
 でも、そうした能力をどのように使いこなすかはまた別の問題です。美大に進学したのは、教室に座って授業を聴くという高校の延長のような生活に辟易していたから。で、美大に入学してどうだったかと言うと、遊んでばっかりだったという答えが返ってきてちょっと面食らいました。諏訪さんの絵はものすごく勉強して技術を習得した人の絵に見えますから、遊びとは無縁の学生時代のように思えたのです。
 当時の美術界はさまざまなメディアを駆使した現代美術が主流でした。キャンバスにむかって絵筆をふるう人はガラパゴス的存在で、院展にでもだすの?なんてまわりに皮肉られたそうですが、それでも彼は絵だけを描き続け、卒業後は建築会社に就職、途中で2年休職してスペインに留学したとき、明治以来、多くの画家が体験してきた「日本人とはなにか」という問いにぶち当たったのです。
 「日本人」の実体とはつきつめれば身体ではないか、そう思いついたとき、彼の頭に浮かんできたのは舞踏家の大野一雄氏のことでした。大野さんの踊りを見て、著作を読んで、故郷の函館を訪ねて、古い地図を片手に彼の伝記的事実を街のなかに探し訪ねる作業をします。こういうことは物書きはしますけれど、画家がそこまでやるというのはあまり聞いたことがありません。調べられることはすべて調べようと腕まくりしたこの時期のことを彼は「とても楽しかった」と振り返りました。
 その後、大野氏に紹介してくれる方がいて、彼を描かせてもらえることになり、諏訪さんは高齢の舞踏家の体をなめるように観察し、絵にする行為に没頭します。遠慮のない視線に家族の方が怒りだすのではないかとびくびくしながらも、止められず、両眼をスキャナーのようにして皺のよった老体に這わせたのです。きっとリサーチ中に溜めこんエネルギーが両目から噴出してくるような勢いと凄みが感じられたことでしょう。
 カメラアイはフォーカスした一点だけに焦点が合う仕組みで、一枚の写真に写っている要素すべてに等しくピントが合うということはあり得ません。でも、人間がものを見るときは、見ている瞬間ごとにピントを合わせ、その映像的記憶を集合させて一枚の絵をつくりあげます。カメラアイではあり得ないことが、ひとつの平面上に実現されている。絵画世界の不思議さはそこにあるです。IMG_1731_convert_20191004154845.jpg
 ここまでお話を伺ったところで、2時間近くがたちました。まだ序論なのに、時間が来てしまい、そこでつづきを話す機会をまた設けることにし、ひとまず1回目はこれにて終了いたしました。
 以前、写真家の畠山直哉さんと話したときのことが、そのとき脳裏によみがえってきました。写真美術館の展示でトークし、カタリココにそれをつなげ、さらに「ことばのポトラック」でも話を重ね、それでも足らずに彼のアトリエで対話をつづけて生まれたのが、『出来事と写真』という一冊だったのです。厳密に話せば話すほど深まっていくところに対話の醍醐味があると改めて実感した一夜でした。(2019.10.4)







<カタリココ文庫>創刊号は以下のお店で(在庫があれば)買えます!

*<カタリココ文庫>の仕入れのご注文は締め切りました。個人でお求めの方は以下のお店にお問い合わせください。
◎印はたくさんご注文くださった手に入る可能性の高いお店です。
<沖縄> 
市場の古本屋 ウララ(那覇)
宮里小書店(那覇)

<九州>
ブックスキューブリック けやき通り店(福岡)
本のあるところajiro(福岡)
Minou Books(吉井町)


<中国>
READIN DEAT(広島):
ろばの本屋(長門)
汽水空港(鳥取)

<関西>
花森書林(神戸)◎
Storage Books(神戸)
casimasi(宝塚)
FOLK old book store(大阪)◎
blackbird books(大阪)
スタンダードブックストア(大阪)
長谷川書店(大阪)
toi books (大阪)
「本」のお店スタントン(大阪)
ぽんつく洞(大阪)
ホホホ座(大阪・枚方)
恵文社一乗店(京都)
誠光社(京都)*売り切れ
nowaki(京都)

<中部>
シマウマ書房(名古屋)
ONREADING(名古屋)
ブックスはせがわ(新潟・長岡)

<東京>
ブックギャラリーポポタム(目白)◎
古書ほうろう(池之端)*売り切れ
ボヘミアンズギルド(神田神保町)
青いカバ(駒込)
title(荻窪)*売り切れ
本屋B&B(下北沢)*売り切れ
音羽館(西荻窪)*売り切れ
SPBS 神山町(渋谷)
オントエンリズム(阿佐谷)◎
Amleeron ( 高円寺)
パラボリカ・ビス(柳橋)
かもめブックス(神楽坂)
古書ますく堂(池袋)

<関東>
bullock books(栃木県矢板市)
Rebel Books (群馬県高崎市)

<東北>
くものす洞(石巻)
BOOKNERD(盛岡)

<北海道>
アダノンキ(札幌)